2018年8月1日水曜日

能《三井寺》・狂言《口真似》~片山定期能七月公演

2018年7月29日(日)12時30分~16時40分 最高気温34℃ 京都観世会館

能《三井寺》シテ千満丸の母 味方玄
   子方 味方慧 ワキ三井寺住僧 福王知登
   ワキツレ 喜多雅人 中村宜成
   アイ清水寺門前者 小笠原匡 三井寺能力 小笠原弘晃
   森田保美 吉阪一郎 山本哲也
   後見 小林慶三 青木道喜
   地謡 武田邦弘 古橋正邦 分林道治 河村博重
      橋本忠樹 梅田嘉宏 清沢一政 河村和晃

狂言《口真似》シテ主人 小笠原匡 
   アド太郎冠者 小笠原弘晃 何某 山本豪一
   後見 泉慎也

仕舞《笹之段》 橋本礒一
  《鵜之段》 武田邦弘
  《雨之段》 浦田保浩
  《玉之段》 片山九郎右衛門
  地謡 橘保向 古橋正邦 味方玄 清沢一政

能《須磨源氏》シテ老人/光源氏の霊 片山伸吾
   ワキ藤原興範 小林努
   ワキツレ 有松遼一 岡充
   アイ所の者 山本豪一
   竹市学 成田達志 石井保彦 前川光範
   後見 片山九郎右衛門 梅田嘉宏
   地謡 青木道喜 河村博重 分林道治 田茂井廣道
      橋本忠樹 宮本茂樹 河村和貴 河村浩太郎




はじめて行った片山定期能。
自由席制だけど、暑いなか外で並ぶのもなあ……と思い、開場後に入場。
意外なことに、前列の見やすい席がよりどりみどりで残っていた(京都では、みなさん、ゆったりマイペース)。
チケット&座席をめぐって熾烈な争奪戦が繰り広げられる東京に比べると、心にゆとりをもって観能できる。

とはいえ、さすがは味方玄さんの舞台だけあって、開演時には見所もかなりぎっしり。東京からお越しになった方々もいらっしゃって、相変わらずの人気です。
この日の演目は《三井寺》と《須磨源氏》。
台風一過の真夏の昼間に、湖畔の秋の月と海辺の春の月を楽しむという、凝った趣向。



能《三井寺》
登場楽もなく、シテが静かに登場。
前シテの唐織は、(見当違いかもしれないけれど)もしかするとテアトル・ノウ東京公演の《砧》で使われた装束かもしれない。 
渋いグリーンと灰色を基調にした草花文様の唐織。

後シテはグレーの水衣に縫箔腰巻、笹を右肩に載せて登場。カケリを経て、三井寺に到着。


この舞台の白眉は、鐘を撞く撞かないで揉めるワキとの問答だった。
卒都婆問答を思わせる理知と気骨、そのなかに潜む、一心に思いつめた「狂い」の気配。鬼気迫る母の思いを感じさせながらも、それも狂女の芸のうち、と思わせる部分もあり、「冷めた理性」と「熱い狂気」という相反する要素がないまぜになった複雑な表現。
ここでぐっと舞台に引きこまれる。


〈鐘之段〉
「初夜の鐘を撞くときは諸行無常と響くなり」から「我も五障の雲晴れて」までは、《娘道成寺》にも引用されている箇所。

坂東玉三郎さんは、『伝心~玉三郎かぶき女方考』で、「時がすべてを虚しくするということを言ってしまった。恋が叶わなかったことへの怨みを飛び越えて、時が過ぎてゆくことへの怨みにもなってゆく。私はここにつかまって、道成寺が踊れる」と述べている。

玉三郎さんのこの言葉が呪文のように絡みついて、鐘之段では、道成寺と三井寺の世界が二重写しに見えてくる。
「女が鐘を撞く」というのは、いわば狂気の記号であり、さらに《三井寺》では狂気を誘う月が妖しく冴えわたる。
《道成寺》は外に爆発的に放出される狂気、《三井寺》は内向し沈澱する狂気。

清澄な明月と琵琶湖の絶景のなか、狂女が「諸行無常と響くなり」と謡ながら鐘を撞く姿は、計算された人工美の極み。
この冷たい硬質な美を具現化した舞台を、いつか観てみたい……。


鐘の紐の操り方も、玄さんらしく、隙がなく美しい。
魅力的な見せ方を心得ていらっしゃる。


最後に我が子とめでたく再会した時の、子方さん(甥の味方慧さん)の肩にのせたシテの手に、愛おしいものを慈しむような包容力があり、大きな母性を感じさせた。




狂言《口真似》
京都の見所は、やっぱりノリがいい。
小笠原家もさすがは関西、同じ和泉流でも東京とはひと味違っていて、やわらかく、親しみやすく、笑いのツボを押さえたメリハリがある。
見所と舞台との交流、良い雰囲気の相乗効果で、こちらも思わず釣り込まれて爆笑してしまう。
顔の筋肉がほぐれて、狂言っていいなあと素直に思う。
(けっこう、山本東次郎家の呪縛にかかっていたように思う。)
気取らずに、楽しめばいいんだ。





能《須磨源氏》につづく





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