2018年8月24日金曜日

能楽チャリティ公演 《翁》《葵上・梓之出・空之祈》~被災地復興、京都からの祈り

2018年8月23日(木)10時30分~12時30分 ロームシアター京都サウスホール

ナビゲーション 大江信行 英語通訳

能《翁》 片山九郎右衛門
  千歳 橋本忠樹 三番三 茂山千三郎 面箱 鈴木実
  杉市和 林吉兵衛 林大和 林大輝 河村大
  後見 青木道喜 分林道治
  狂言後見 島田洋海 松本薫
  地謡 武田邦弘 橋本礒道 古橋正邦 片山伸吾
     橋本光史 吉田篤史 深野貴彦 梅田嘉宏

狂言《土筆》男甲 茂山逸平 男乙 茂山童司
  後見 井口達也

能《葵上・梓之出・空之祈》 六条御息所ノ生霊 吉浪壽晃
   巫女 松井美樹 下人 島田洋海
   横川小聖 小林努 臣下 原大
   左鴻泰弘 吉阪一郎 石井保彦 井上敬介
   後見 杉浦豊彦 塚本和雄
   地謡 浦部好弘 河村和重 河村博重 河村晴久
      浦部幸裕 松野浩行 河村和貴 樹下千慧




千年以上ものあいだ、呪力によってこの国を守護してきた京都。
この地から、祈りと鎮魂の芸能である能楽━━しかも、祈りのパワーが最大限に発揮される《翁》と《葵上》━━を演じて被災地に思いを届けるという、最高に心のこもったチャリティ公演が今年も開催された。これだけの規模の公演を何年も続けるなんて、なかなかできることではありません。主催者・共催者・協力された方々にはほんとうに頭が下がる。

ロビーでは能楽師さんたちが素敵な笑顔で募金活動をされていて、こちらにとっても貧者の一灯を点すよい機会でした。ありがとうございます!


能《翁》
九郎右衛門さんの翁を拝見するのは、これで三度目になる。
九郎右衛門さんの翁は、うまく謡おうとか、きれいに見せようとか、そういう演者のエゴを感じさせない。
ただ、一途に精魂込めて捧げる祈りの心が、胸に深く、響いてくる。
今回それがとりわけ強く、いつも以上に緊張した面持ちがとても精悍に見えた。
被災地へ祈りを届けようという、凄まじい意気込みと熱意が感じられる。
ここにいる能楽師さんすべてがきっと、同じ思いで舞台に立たれているのだろう。
キリッと引き締まった緊張感が場内を包み、演者の方々の真剣な表情が神々しい。

正先での拝礼は、翁烏帽子の先が床に着くくらいに深々と。
「天下泰平 国土安穏」の謡は、翁と一体となったシテの、魂を絞り出すような予祝の祈り(ここは、感動的で涙があふれてきた)。

翁之舞の袖の扱いはふんわりと、重力とは無縁の、異次元の翁の世界を感じさせる軽やかさ。

こちらも、心を合わせて祈る思いで拝見した。
《翁》は観客に見せるためのものではなく、ともに祈るためにあるのかもしれない。




能《葵上・梓之出・空之祈》
 一度拝見してみたいと思っていた吉浪壽晃さんのシテ。相当の実力派だ。
この日の《葵上・梓之出・空之祈》も予想以上に素晴らしかった!

【梓之出】
小書「梓之出」なので、照日の巫女の口寄せに引かれるように六条御息所の生霊が登場するのだが、このツレの口寄せが、松井美樹さんのちょっとビブラートがかかったような独特の謡で、どこかイタコめいた呪術的で土着的な雰囲気があり、交霊の場面にふさわしい特殊効果を入れたような不思議な感覚があった。
(「天清浄地清浄……」の祓詞が、オシラ祭文のようにも聞こえる。)

こういう依代になり得る存在、霊の「器」としての巫女のもつ神秘性・異質性は、男性には表現しがたい雰囲気かもしれない。


【葵上打擲】
「プ・ポ・プ・ポ」と小鼓の奏でる梓弓に誘われて現れた吉浪さんの御息所の生霊。
病床の葵上に見立てた出小袖を打つところも、品位を崩さず、心の悲痛な叫びのような、悲しげな打擲を、ひとつ。

まるで意識とは別のものに突き動かされて、腕だけがひとりでに恋敵を打擲したかのように、泥眼の面が途方に暮れたような、驚きの表情を浮かべている。

光源氏との逢瀬が過去のものとなったことを恨むところも、愛憎のはざまで揺れ動く女の弱さがにじむ。
鬼になりゆく身ながらも、所々に、可憐さと気品が感じられて、高貴な御息所らしい風情があった。


【後場→空之祈】
小書つきなので物着ではなく、中入後、擦箔に緋長袴という出立で登場。
長髢をくるくる巻いたものを、投げ縄のようにシュルルーッと小聖に投げつける。
こういうところ一つとっても、あざやかな手さばきだ。

「空之祈」で小聖が鬼女(生霊)の姿を見失い、出小袖に向かって懸命に数珠を揉んでいるあいだ(小林努さんのワキもよかった!)、シテは橋掛りへ逃れるのだが、橋掛りで見込むとき、どこか自分の心の奥底をのぞきこむような、内省的な表情がフッとあらわれる。

生霊がふたたび舞台に戻ってきたのは、小聖に救済を求めたからだろうか。

聖の祈りに心が和らぎ、御息所の怨念は成仏する。
常座での留にも、なんとなく雲間から青空がのぞいたような、晴れやかな空気が漂う。

《葵上》って、嫉妬に狂った鬼女の調伏物語ではなく、一人の打ちひしがれた女性がみずからの悲運を受け入れて立ち直っていくお話、心の救済の物語だったのですね、たぶん。



追記:わたしの隣に座っていた女性が、能楽初心者らしきご友人をお連れしていて、終演後、そのお友達が「わあ、すごく良かった!! 誘ってくれてありがとう!」と、とても感激されていた御様子だった。
これをきっかけに、能楽堂にも足を運んでくださるといいな。






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