2017年6月28日(水) 14時~17時35分 宝生能楽堂
素謡《東北》シテ 辰巳大二郎 ワキ 辰巳和麿
地謡 佐野弘宜 藤井秋雅
舞囃子《邯鄲》田崎甫
地謡 朝倉大輔 金森良充 金井賢郎 木谷哲也
舞囃子《野守》金野泰大
地謡 朝倉大輔 金森隆晋 辰巳和麿 上野能寛
杉信太朗 曽和正博 柿原孝則 金春國直
仕舞《氷室》 武田伊佐
《鵜之段》関 直美
地謡 内田朝陽 葛野りさ
仕舞《半蔀クセ》今井基
《船橋》 木谷哲也
地謡 金森隆晋 金森良充 朝倉大輔
能《芦刈》シテ 當山淳司 ツレ 川瀬隆士
ワキ 村瀬提 ワキツレ 村瀬慧 矢野昌平
アイ 三宅近成
杉信太朗 曽和正博 柿原孝則
後見 辰巳大二郎 金野泰大
地謡 佐野弘宜 内藤飛能 田崎甫 今井基
金井賢郎 藤井秋雅 木谷哲也 上野能寛
御宗家の嫡男御誕生に沸く宝生能楽堂。
おめでたいムードのなか、ほぼ満席の大盛況でした。
素謡《東北》
いまの宝生流の謡は、ベテランよりも若手のほうが好き。
この配役ならぜったい良いはず!と思っていた素謡《東北》は期待以上でした。
シテの辰巳大二郎さんはいかにも梅の精らしい気品の香気の漂う謡。
そして、ワキの和磨さん。この方は舞も良いけど、謡もいい!
ワキの次第から見所の心をつかみ、舞台をキュッと引き締め、
道行の「山また山の雲を経て、都の空も近づくや」では、上空に浮かぶ雲の流れや景色のうつろいを観客の目に映し出す。
素謡ではシテ・ワキ・地謡の四人が横一列に並んでいるのですが、和磨さんだけ腰の入れ具合が他の人とは違っていて、尾骶骨から背骨、首筋、後頭部にかけて「気」がスーッと通っている。
重心とエネルギーの中心が丹田の奥底にしっかりと置かれ、肩や腕からは余分な力や気負いが抜けている。
そのため謡は、口からではなく、丹田の奥から、もっというと、存在そのものから発せられているように聞こえ、高い集中力で舞台と謡の世界に意識が向けられているのがその顔つきからよくわかる。
舞囃子
《邯鄲は》は初めのほうの拍子を踏むときに足が床にベタっとしがちなところがほんの少し気になったくらいで(舞の後半には潤滑油を注したように足拍子の軽やかさも増していた)、謡もよく、特に夢から覚めるときの劇的効果の表現など見どころの多い舞でした。
《野守》は足拍子がとてもいい。下半身が強く、身体全体が非常に安定していて、鬼神の威厳や大和の大地を思わせる力強さにあふれていた。
舞囃子は二番とも柿原孝則さんの気合が充実していて、清々しい。
この方、ほんとうに能が、囃子が、大鼓がお好きなんだなーと、天職への情熱が伝わってくる。
仕舞
現在の宝生の若手の方々はみな基礎がきっちりしていて、地に足が着いている。
仕舞を舞われた方々からも皆さん基本の確かさがにじみ出ていて、特に印象に残ったのが木谷哲也さんの《船橋》。
動きの流れにメリハリが効いていて、「かっぱと落ちて沈みけり」の飛び安座にも水没感があり、邪淫の悪鬼となった男の妄執、その暗い影に惹き込まれた。
能《芦刈》
若手の会にしては、かなりの大曲。
笠ノ段などの舞事以外にも、零落した名門の男の悲嘆、夫婦愛、羞恥心や自嘲・自虐の念など、こういう感情を織り込むのは非常に難しいと思うのですが、熱演でした。
とくにシテの男舞。
キリリと袖を巻き上げる型は颯爽としていて、そのなかにも、夫婦再会の喜びだけではなく、かすかに鬱屈した男の気持ちがにじんでいて。
面白かったのが間狂言。
難波では「芦(あし)」というのを、伊勢では「浜荻(はまおぎ)」と呼ぶというシテとワキのやり取りに懸けて、「難波の(魚の)アジは、伊勢のハマグリ」というところも、見所では誰も笑わなかったけれど、わたしはひとり心の中で爆笑!
ツレの川瀬隆士さんもしっとりとした妻役できれいでした。
ただ残念なことに、(これは川瀬さんのせいではないのですが)川瀬さんは比較的上背があるので唐織が裄・丈・身幅ともにかなり小さくて、肘や膝を折り曲げたり、下居も常よりも無理な態勢でキープしたりといろいろ工夫をされていたものの、物理的にいかんともしがたいものがあり━━シオルところなども唐織の袖から手首がニューッと出てしまい、風情が半減。
川瀬さん、謡も佇まいもよかったのに、装束のせいで気の毒でした。
宝生流は若手は多いけれど、ほとんどが小柄な方々なので、大きいサイズの唐織の用意があまりないのかも。
辰巳満次郎さんに借りるとかできなかったのかなー。
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