2014年12月13日土曜日

喪失

日付の上では、もう昨日になってしまったけれど、
宝生能楽堂の銕仙会定期公演から帰ってきて、初めて金春國和師の訃報を知る。


何も知らず、能天気に浮かれていた自分が恥ずかしい。


國和師は3月にお父様を亡くされて以来、掛け声がかすれて力がなく、覇気もなくなり、座っているのも辛そうで、どこかお悪いのだろうとは思っていたけれど、こんなに急に……。
 
                    
もっと早くから治療に専念することはできなかったのだろうか。
やはり、スケジュールが数年分詰まっていると、舞台に穴をあけることはできないものなのか。


ショックとか、悲しいとかを通り越して、どうしようもなく放心状態。
ただただ、強い喪失感。


囃子方、特に、太鼓方は人数も名人も少ない分、ごく一部の人に出演依頼が過度に集中して、「激務」なんて生易しいものではないほど、きつい、苛酷な仕事だ。
                            
               
公演数が増えるのは良いことだけれど、シテ方・公演の数と、囃子方(太鼓方)の数が極めてアンバランスで、能繁期になると週末はいつも複数かけもちが当たり前。
いつ、誰が、過労で倒れてもおかしくないほどだ。


一人が倒れると、さらに他の太鼓方の負担が増し、ドミノ倒しのようになっていく。

この負のスパイラルを断ちきらないと、取り返しのつかないことになってしまう。


これだけの太鼓方を立て続けに亡くした痛手は計り知れない。
芸はまだ、受け継がれていない。

あの鮮やかで華麗なバチ捌きをもう見ることはできない。
                      
この損失は、あまりにも、とてつもなく大きい。

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