2017年12月12日火曜日

小平市平櫛田中彫刻美術館・大江宏設計「九十八叟院」

師走の休日は人ごみを避けて、近場の穴場へ。
近場だとかえって足が向かなくて、訪れたのはこの日が初めて。
思っていたよりもはるかに良かったです!

旧平櫛田中邸「九十八叟院」

平櫛田中の旧邸宅は、大江宏が設計した書院造の名建築。
現在は、美術館に隣接する記念館となっています。



平櫛田中が98歳の時に建てたことから「九十八叟院」と呼ばれるこの旧居は、とにかく素敵な空間。 こういう建物を見るとわくわくします。

彫刻用原木・クスノキ

樹齢500年の楠の原木(5.5トン)は、その後の30年の創作活動のために、田中が100歳の時に購入したもの。

100歳以降も、「鏡獅子」に匹敵する女性の舞姿(モデルは武原はん)を彫るつもりだったというから、凄まじい創作意欲! 
この樹齢500年の原木そのものが、平櫛田中に見えてくる。



お庭も、大江宏らしい端正で品格のある構成。


エントランス
玄関先の格子戸が、ステンドグラスのよう。陰翳礼讃の世界。



こういう様式、好きだなあ。
どこか人間的なぬくもりのある、和風モダニズム建築。


茶室の坪庭
坪庭に切株があるのが、平櫛田中らしい趣き。


茶室、にじり口が見える

四畳半の茶室に掛けられていたのは、平櫛田中の書「無心」の御軸。




雁行する石畳の配置も、大江宏っぽい。


小平市平櫛田中彫刻美術館

記念館に隣接する彫刻美術館。
こちらも、かなり見応えがありました。

平櫛田中彫刻の魅力は、モデルがもつ雰囲気、その人が発する「気」を、そのまま作品から感じ取れること。
生身の人間の魂から発せられるエネルギーが彼の作品からも発せられ、まるでその人自身と向き合っているような気分になる。

平櫛田中といえば、真っ先に岡倉天心像が思い浮かぶ。
明治の巨人の、怪物めいた存在感・威圧感が、その量塊とともにたしかな手ごたえで迫ってくる。

《鏡獅子》1965年、木彫彩色、高さ58㎝

とはいえ、この美術館の目玉は、やっぱり《鏡獅子》。
国立劇場の2メートルの鏡獅子の4分の1のスケールで創られたこの像は、小型作品ならではの密度の高い充実した造形。
ビリビリと音を立てて炸裂するような気の放電すら感じられる。

《鏡獅子》の試作品として、六代目尾上菊五郎のふんどし像と頭部の像も展示されている。
裸体像(六代目は裸で弟子に指導していたという)は背面から見ると、臀部の盛り上がりや、中心部に寄せた背中の筋肉の形がすばらしい。
頭部像は、音羽屋らしい口許やあごのぽってりした肉付きが、本作の《鏡獅子》よりも顕著にあらわれている。

それでも、わたしがこの《鏡獅子》を見て思い出すのは、能楽師・十世片山九郎右衛門の《石橋》だった。
カマエや重心のかけ方、一点を見つめる集中力の強さ、気迫の漲り方が、九郎右衛門さんの《石橋》そのものなのだ。
体型もおそらく六代目尾上菊五郎に似ているのではないだろうか。


他にも印象的な作品ばかりだったが、とくに強く惹かれたのが、《良寛上人》と《月姫》。
子供たちと手鞠をしたり、泥棒に布団を盗ませてあげたりする逸話で有名な良寛さん。
平櫛田中の作品では、品のいい細面の禅僧が膝の上で書物を開いて静かに読み耽る姿で描かれる。
良寛さんがまとう、安らかで泰然とした優しい雰囲気が、まわりの空間全体に漂っている。

《月姫》は、若く美しい女性ではなく、生活感をにじませる中年女性のブロンズ像。
器量も十人並みで、パーマをかけた主婦の、黄ばんだような人生を感じさせる。

「月姫」という言葉にはロマンティックな響きがあるが、
月の満ち欠けのように、ごく自然に子を生み・育て・老いてゆく、地に足のついた人生を歩んできた女性こそが《月姫》なのだ、という意味だろうか。








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