2017年12月6日水曜日

端坐


観世元伯さんの訃報から数日。
感情が込み上げてきて、何も手につかず、何も書くことができなかった。

どんな言葉も虚しく響いて、思いをうまく表現できない。

何よりも、無念だ。 あまりにも、無念すぎる。

周囲も、観客も、そして何よりも、ご本人が無念だったろうし、それを思うと、とてもじゃないけど、やりきれない。やりきれるわけがない。

あの太鼓はまさしく当代きっての、天下無双、唯一無二のものだったし、
これから今まで以上に数えきれないほど多くの感動を、多くの人に与えてくださるはずだった。
能の舞台の素晴らしさ、囃子の醍醐味を、ひとり一人の胸に、深く、深く、刻みつけてくださるはずだった。
そして、多くの大切なものを、次の世代に受け渡してゆくはずだった。

それなのに!!


神の領域に入ったような、玄妙な太鼓だった。

天高く突き抜けるような、高く澄みきった掛け声だった。

芭蕉の句の古池に木魂する水音のように、金属質の響きが森閑たる静寂を際立たせる、そんな出端だった。

あの早笛、大ベシ、あの早舞、あの神楽、あの神舞、あの中之舞・序之舞、あの舞働、あの楽、あの祈リ、あの乱、あの獅子……。


いつも舞台の最後に、
太鼓と扇を持ってスッと立ち上がり、揚幕のほうに向き直って、書道でぐっと力をためてから筆を払うように、特徴的なリズムで半歩下がり、絶妙な間を置いてから歩み出し、橋掛りを去ってゆく。
舞台にピリオドを打つような一連の所作と、余韻に彩りを添えるあの後姿を見送るのが好きだった。


この一年、観世元伯さん不在の太鼓物を観てきたけれど、
ぜんぜんちがうのだ、あの方の太鼓がないと。

シテが素晴らしければ素晴らしいほど、地謡が良ければ良いほど、舞台の完成度の点で、囃子の、元伯さん不在が、大きくひびいてくる。
そこだけが宝玉の瑕のように浮き上がってくる。



あの、一分の狂いもないほど緻密で繊細な太鼓には、ひと粒、ひと粒に、打ち手の魂が込められ、
そのたびごとに貴い命が削られていた……。

そして、怖ろしいことに、舞台芸術は儚い。
死後の再発見、再評価などはなく、
将来必ずや与えられたであろう最高の栄誉を、授与される日を待たずに終わってしまった師の芸術は、観客の記憶とともに、やがて薄らぎ、いつかは消えてしまうのだろうか。



最後に拝見したのは、昨年11月の末、梅若の能楽堂での社中会だった。
少し咳をされていて、体調がすぐれない御様子だった。

《砧・梓之出》だったと思う。
この日、わたしも体調がすぐれず中入りで退席した。
間狂言なので、元伯師は左横を向かれ、こちらに背中を向けていた。

わたしは席を立ち、もう一度、振り返った。

舞台の上には、あの、元伯さんの世にも美しい端坐する姿があった。
体調を崩されていても、少しも乱れない、美しい木彫仏のような佇まい。

いつもと変わらない穏やかな秋の日の午後。
能楽堂を出ると、入り口に植えられた桜の紅葉がきれいだった。


また、すぐに会えると思っていた。

いつでも、会えると思っていた。
















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