2017年1月27日金曜日

《隅田川》後半・能楽フェスティバル~1964年オリンピック能楽祭を想う

2017年1月25日(水)  14時30分~16時26分  国立能楽堂
《隅田川》前半「それ、まことの花なり」からのつづき

能《隅田川》梅若丸の母(狂女)野村四郎  
   ワキ渡守 宝生欣哉 ワキツレ旅商人 殿田謙吉
   子方・梅若丸 清水義久
   藤田六郎兵衛 観世新九郎 亀井忠雄
   後見 浅見真州 野村昌司
   地謡 梅若玄祥 武田宗和 岡久広 青木一郎
      清水寛二 駒瀬直也 坂井音隆 松山隆之 



〈シテとワキの問答〉
最初は「面白く舞い狂わないと舟には乗せない」と、狂女を侮る態度を取っていたる渡守に、『伊勢物語』のエピソードや「都鳥」の歌を引いて、狂女が渡守をやり込めるくだり。


都人らしい教養の高さに感服して、狂女への認識を改めるワキの心の動きと、
京の女らしい気品を漂わせるシテの凛とした佇まい、
そして、さりげなく心を通わせていく両者の掛け合いが秀逸だった。


さらに地謡が、《隅田川》の世界を丹念に醸成してゆく。

この日の地謡は地頭級の面々を後列に配し、観世各会から集めた寄木細工のような布陣。
(清水寛二さんが前列にいる地謡って凄い!)
豪華だけれど統率は難しいこの陣営を、玄祥師が見事にまとめあげ、心の襞に沁みわたる謡を奏でていた。

「さりとては渡守、舟こぞりて」で、カンカンッと大鼓の特殊な手が入り、
「乗せさせ給へ渡守」で、シテはワキに向かって下居合掌、
「さりとては乗せてたび給へ」で、笹を打ちつけ、懇願するように跪く。




〈乗船→ワキの語リ〉
狂女とともに乗船した旅商人に問われるまま、渡守は、対岸で催される大念仏の経緯を語り始める。

欣哉さんの語リは、間が少し早く感じるところもあるけれど、血の通った、人間味のあるしみじみとした語リ。

「弱りたる息の下にて、念仏四五遍唱へ」で、「ねん~ぶ~」と引き伸ばして語ったところなど、梅若丸の臨終の息と呼吸を合わせた迫真の語りだった。


いっぽうシテは、
船中でワキの語リを聞きながら、我が子の死を悟り始めるところでも、
ごくごくわずかに面をうつむけ、クモラせていくだけで、
動揺や衝撃を胸のなかにぐっと抑え込む控えめな表現。


狂女は渡守に聞き返し、わが子の死を確認したのち、
「のう、これは夢かや、あら浅ましや候」で、ため込んだ激情がほとばしるように、
手にした笠を投げ捨て、安座してモロジオリ。
抑え込んだからこそ、ここの慟哭の表現が生きて、観客の胸を刺す。



〈塚の前で念仏→終曲〉
狂女が梅若丸の母であることを知った渡守は、
「今は歎きても甲斐あるまじ。かの人の墓所を見せ申し候べし」と、
意を決したように、カランと棹を落とす。

狂女は渡守に背後から支えられて、力なく立ち上がり、
「さりとも逢はんを頼みにこそ」で、ワキともに塚を向いて下居、
草の生い茂る墓所をしばらく呆然と見つめていたが、

激情に駆られたように立ち上がり、笛と地謡が激しくなるなか、
「さりとては人々この土を返して」で、シテは左手で塚を指し示し、
「この世の姿を母に見せさせ給へや」で、泣き崩れるように安座してモロジオリ。


残りても甲斐あるべきは空しくて」から地謡が世の無常を切々と歌い上げ、
その間、ワキが後ろを向き、装束のなかに隠し持っていた鉦鼓を取り出す。


「母の弔いが亡き子の何よりの弔い」と、やさしく諭された狂女は、
渡守とともに塚に向かって念仏を唱える。


(と、ここまでなんとか涙を抑えていたのだけれど、子方さんの声が聞えたら
もうだめで、不可抗力的に号泣モード。視界が滲んで見えにくい。)


子方が塚から出て、「たがいに手に手を取りかはせば」で、
母の抱擁を子方がすり抜けるシーンも芝居に堕することなく、
梅若丸が透き通った亡霊となって母の身体をすり抜けていくような夢幻性があり、

懐かしい母の声を聞いた梅若丸の亡霊が、母恋しさのあまりたまらなくなって
墓から出てきたような、胸を締めつけるほどの母子の切なさが感じられた。


ほのぼのと夜が明けるなか、愛しいわが子の姿も消え去り、
シテは何かを確認するように、塚に生い茂る草に触れ、
最後は塚の前で安座して、どうしようもない悲しみをしまいこむように静かにシオル。


大小鼓の合頭のあとも、六郎兵衛さんの笛が、
狂女の心を包み込むように哀憐を帯びた旋律を奏でつづけた。





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