東京能楽囃子科協議会定式能・九月夜能~舞囃子《巴》・狂言《三本柱》からのつづき
能《融・笏之舞》友枝昭世
ワキ宝生欣哉 アイ能村晶人松田弘之 鵜澤洋太郎 國川純 観世元伯
後見 中村邦生 狩野了一
地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
佐々木多門 内田成信 友枝雄人 金子敬一郎
喜多流の《笏之舞》の小書は初見。
国立能楽堂図書室で金春流《笏之舞》の映像記録は観たことがあるけれど、同じ小書名でも流派によってずいぶん違う(金春流ではシテが笏を持って舞い、早舞が急ノ舞になる)。
喜多流の《笏之舞》は、観ていて(あるいは舞っていて)面白いかどうかは別として、囃子的には特殊な手が多く、かなりマニアック。
そのうえ友枝昭世師をお呼びしての舞台。
お調べにいつもより入念に時間をかけ、とくに太鼓が最後まで調整に余念がない。
気合のほどが伝わってくる。
【前場】
名ノリ笛で諸国一見の僧が登場。
松田さん(東京囃子科協議会の笛方エース!)がいつもより心もち早めに笛を口元にあて、わずかでも吹きかすりのないように意識を極度に集中させて吹いているのがわかる。
ヒシギの時は、仕損じたら腹を切るくらいの意気込みだ。
【一声→シテの登場→名所教え→汐汲み→中入】
前シテは、茶水衣、濃灰色無地熨斗目、腰蓑。
面は三光尉だろうか(朝倉尉かも)。
友枝さんがつけると何でも品良く見える。
一の松でハコビの速度を緩め、常座に立ち、懐かしげに大きくあたりを見回す。
この所作、視線の動きによって、廃墟と化した河原の院の荒涼とした風景が立ち現れる。
名所教えの場面でも、ワキと二人で視線の先を合わせつつ互いに心を通わせていくさまが、物寂しい景色の中でほのぼのとした温かみを感じさせた。
しみじみとした情景を謡い上げる地謡もよかった。
ただこの日はわたしの感覚の問題かもしれないけれど、先日の袴能《天鼓》に比べると、なにかもうひとつ、手放しで感動できない壁のようなものを感じてしまった。
(注:先日のような神の領域に入った舞台を70代半ばで毎回勤めるのは不可能に近いし、友枝昭世師の舞台に対する期待が大きすぎるがゆえのきわめて個人的な感想なので、一般的な基準からすればとても良い舞台でした。)
「いざや汐を汲まんとて」でシテは常座に置いていた田子を担いで、正先ギリギリまで出、
「汲めば月をも袖に望汐の」で、舞台外に桶を下ろして汐を汲み、両桶に映る月を観る。
高度な技術を要する場面。
ここもこのシテ本来の力をもってすれば、汲み上げた水の量感・質感さえも感じさせる印象深いシーンになっていたはずだと、いつもに増して認知的不協和のジレンマに陥ってしまう。
中入の時はタタタと足早に橋掛りを帰る途中、三の松でスピードを緩めてから幕に入る。
これがなんともいえない優雅なリズムで、余韻を漂わせる中入だった。
東京能楽囃子科協議会九月夜能 《融・笏之舞》後場につづく
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