会期終了間近の特別展「クレオパトラとエジプトの王妃」展を観たあと、平常展へ。
トーハクの平常展は一部を除いて写真撮影可能だからうれしい。
以下は能楽関係の作品を中心に、記録・メモ。
『道成寺・鏡向にて』岸一舟、1991年 |
道成寺のシテが鏡の間で、祈りを込めて面をつけるところ。
装束の文様もじつに精緻で、シテの敬虔で真摯な思いが伝わってくる。
わずか数センチのミニチュアの小宇宙。
『印籠・エジプトの石棺、根付・壷、緒締・スカラベ』アーミン・ミュラー、1997年 |
↑ こちらも高円宮コレクション。
根付の海外コレクターは多いけれど、外国人作家の根付は初めて見た。
エジプトのミイラの石棺やスカラベなどの副葬品を根付や印籠・緒締にするという
斬新な発想が面白い。
海外作家によって根付のアイデアの可能性が無限に広がりそう。
『鵺退治牙彫根付』(線刻銘「正次」)江戸時代19世紀 |
↑ こちらはトーハク収蔵の根付。
頼政(猪の早太?)に討たれる鵺。
四天王に踏みつけられる邪鬼のようにも見える。
顰 江戸時代17~18世紀 |
↑ 眼に金銅板が嵌め込まれた顰。
《大江山》の酒呑童子や《土蜘蛛》などに用いられるとのこと。
造形がまことに美しく、
もしかすると「顰」は歌舞伎の隈取の原型ではないだろうか。
唐織・金紅萌黄段敷瓦菊薄模様、金春座伝来、江戸期18世紀 |
長絹・縹地桐模様、金春座伝来、江戸期18世紀 |
唐織・紅茶浅葱段青海波花束籬秋草模様、江戸期18世紀 |
↑ 贅を凝らした美麗な能装束は保存も行きとどき(修復技術も素晴らしい!)、
トーハクの巧みなライティングと相まって、独特の異空間になっていた。
『伊勢物語絵巻・巻第一』住吉如慶、紙本着色、江戸期18世紀 |
昔、男ありけり。女の、え得まじかりけるを、
年を経てよばわたりけるを辛うじて盗み出でて、いと暗きに来けり。
芥川といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、
「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。
『伊勢物語』第六段
二条后(高子)を盗み出し、芥川のほとりを連れていく在原業平。
美しく儚い愛の逃避行、《雲林院》の世界。
『月下砧打美人図』森玉僊、絹本着色、江戸期19世紀 |
月にはとても寝られぬに、いざいざ衣うたうよ。
砧を打つ手をとめて、月を眺める美人を描いた肉筆浮世絵。
能の《砧》からは想像もできない頽廃的なイメージはいかにも幕末浮世絵らしい。
砧を打っていたこの時から、北の方の精神の崩壊は始まっていたのだろうか。
『筒井筒図』月岡雪鼎、絹本着色、江戸期18世紀 |
くらべこし 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき
月岡雪鼎ってトーハクの平常展には陳列できない淫靡な作品も多いのだけれど、
この絵のように清潔感のある上品な肉筆画も少なくない。
瓜二つの幼い男女がやがて結ばれ、そして離れ、
死を経て、廃墟と化した在原寺で、
女の霊の思いの中で完全にひとつになり、昇華される。
画中の井筒の中に映し出されたのは、
分身のような二つの影が重なり合い、「女とも見えず、男なりける」となった
懐かしくも切ない二人の未来の姿かもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿