2018年2月16日金曜日

杉並能楽堂 ~能楽堂建築シリーズ4

1929年に現在の場所に移築再建。有形文化財。
東京都杉並区和田一丁目:地下鉄中野富士見町駅から徒歩5分



ガラガラッと格子戸を開けると、そこは都内で二番目に古い能楽堂。
能楽堂といっても、古民家の屋内にある、見所つきの能舞台といった風情。

大蔵流山本東次郎家の本拠地は、とても趣きがあって、素敵なのです。





舞台床の剥げた箇所が、通常の能楽堂と違うのが分かりますでしょうか。

三世・山本東次郎著『狂言のことだま』には、
狂言の舞は舞台の角々(目付柱や脇柱)できっちり方向転換をするように使う、ということが書かれています。これは、角々に悪しき物が宿るという古来の信仰から、角々を祓う意味もあるそうです。
また、狂言ではセンターラインを田の畔や川岸、垣根などに見立てるため、センターラインを非常に重視した舞をすることも記されています。


山本家の舞台を見れば、東次郎師のことば通り、舞台の四隅とセンターラインだけ特に床板が摩耗して、色が薄くなっているのが分かります。


床の摩耗や汗の沁みは、檜板の色の濃淡やツヤ・テリに反映され、それはもう「用の美」の結晶のような、鑑賞に価する美術工芸品といえます。
汗と涙で磨き抜かれた床は、ほんとうに美しい。


この能楽堂は、明治43年(1910年)、二世山本東次郎が、銀行頭取だった素人弟子の渡辺勝三郎の援助により、本郷弓町(現・文京区本郷二丁目)に創建しそうです。

その後、渡辺銀行は倒産、その資産も差し押さえられましたが、本能楽堂だけは二世東次郎の名義になっていたため、昭和4年(1929年)、草深い田舎だった杉並区のこの場所に移転再建されたといいます。






彦根藩井伊家に残る江戸城三の丸の図面をもとに再建され、鏡板の老松も、江戸城で使われた下絵を写して描かれたそうです。

関東大震災、太平洋戦争、東京大空襲……歴史の荒波をくぐりぬけて来たかけがえのない能楽堂。

どうかこれからも、ずうっとこのまま、大切に残されていきますように。





お庭も好い雰囲気















0 件のコメント:

コメントを投稿