《三輪・白式神神楽》前場・片山幽雪三回忌追善能からのつづき
白式神神楽でも、この長い橋掛かりが効果的に使われた |
能《三輪・白式神神楽》シテ 片山九郎右衛門
ワキ 宝生欣也
アイ 野村万蔵
杉市和 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
後見 浅見真州 青木道喜 味方玄
地謡 梅若玄祥 観世銕之丞 観世喜正 山崎正道
片山伸吾 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫
拝見するたびに、スケールが大きくなっていく十世片山九郎右衛門。
(そして怖ろしいほど多忙さも増していく。すこし心配なのです。)
【後場】
〈後シテの登場〉
なほも不審に思し召さば、訪ひ来ませ、杉立てる門をしるしにて━━。
女神の三輪明神が、男神の住吉明神に贈ったとされる歌「恋しくは訪ひきませ千早振三輪の山もと杉立てる門」にもとづくこの言葉には、禅竹らしい色めいた魅力が含まれている。
里人の勧めに後押しされるように、玄賓僧都が杉の神木を訪れると、木陰から女神が姿を現す。
「神体あらたに見え給ふ」で、引廻しが下ろされ、後シテがまばゆい姿で出現する。
純白の狩衣を衣紋に着け、白大口、髪は鬘帯の着けないオスベラカシ。
大きな榊を、右手に立てて持っている。
〈クセ・三輪神婚譚〉
三輪神婚譚が語られるクセは、舞グセではなく、作り物に入ったままの居グセ。
玄祥師・地頭、銕之丞師・副地頭、両脇に喜正さん・山崎正道さん、前列には淳夫さん+片山門下の面々という最強の地謡が、神話の世界に描かれた、女の疑念・不信、歎き、衝撃、執着など、今日まで続く女の不幸の根元を謡いあげる。
神婚譚を語る形で静かに佇むシテの全身から、おごそかな光が放射されているよう。シテのまわりが、明かりが灯ったようにぼうっと明るくなっている。
「帰るところを知らんとて」で、シテは立ち上がって作り物から出、「まだ青柳の糸長く」で、左袖に右袖を重ねるように巻き上げる。
〈イロエ〉
シテ「八百万の神遊」、地「これぞ神楽の初めなる」、
シテ「ちはやぶる」で、常座に立って榊を振り、
そこから大小前へ至り、クルクルと回りながら正先で下居。
榊を押しいただき、左右左と振る。端から勢いよく振り、中央でいったん止めて、もう一方の端へやさしく振りきる。そこから立ち上がって榊を振りながら、立廻り。
場が清められ、こちらの罪や穢れも浄化されていく気分になる。
光を放つ、このうえなく清らかな女神。物腰もうっとりするほどエレガントで、幅広の大口との対比で、足首がほっそりとして淑やかに見える。
〈神楽〉
シテは「天岩戸を引き立てて」で、常座に戻り、
地「神は跡なく入り給へば」と、両袖を被いて身をかがめ、
地「常闇の世と早なりぬ」で、かがんだままの姿勢で廻り、
シテ「八百万の神たち」で、下居して両袖を下ろすと、
立ち上がって、
岩戸の前にてこれを歎き━━
「歎き」の語尾は、神々の慟哭をあらわすように、かすれ、尾を引く。
あたりは、漆黒の闇。
光のない世界。
神楽の序は、擦拍子。
打楽器の掛け声はなく、大小太鼓が一粒ずつ打ち、
シテは、暗闇をさぐるように、静かな足拍子を踏む。
杉市和さんの笛の音が木霊する暗闇のなか、
シテの姿だけが白く発光しながら、
こちらに迫ってくる。
ハッと息を呑んだまま呼吸が止まりそうなほど、崇高な感覚に襲われた。
宗教感覚というのは、こういうものかもしれない。
なぜか、身体がふるえて、ふるえながらシテの舞を観ていた。
女神の舞なのか、女神に捧げる舞なのか、そういう区別もなくなり、
男女の性も揺らいで、
シテはこの瞬間、この世で最も美しく、崇高な存在だった。
地直リで、榊から扇に持ち替えたシテは橋掛りに進み、
三の松で、風に揺蕩うようにくるくるとまわったのち、
間を置いて、ゆっくりと左袖を被き、
さらに間を置いて、右手の扇で顔を隠して翁の型。
(九郎右衛門さんのこの「間」! わたしの愛する美しい間の取り方!)
そこから少し後ずさりするように、身を引いたあと、
視界がほとんど効かないなか、大小太鼓のナガシで、
サーッと暁光が射すように、長い橋掛りを駆け抜け、
舞台に至り、さらに作り物に入って下居。
〈終曲〉
「岩戸を少し開き給へば」で、雲ノ扇。
作り物から出て、見所を八百万の神々に見立ててて、
「人の面白々と見ゆる」で、左右を見まわし、
「面白や」と、ユウケン。
シテは一の松で左袖を巻き上げたまま、
「関の戸の世も明け」で、東の空を見上げたのち、
そのまま揚幕の向こうへと消えていった。
覚むるや名残なるらん
玄賓僧都は脇座前で下居して合掌。
シテの居た場所には、光の残影がまだ漂っていた……。
《隠狸》《三笑》《石橋》へつづく
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