能《養老・水波之伝》樵翁/山神 片山九郎右衛門
樵夫 武田祥照 天女 武田友志勅使 宝生欣哉 従者 則久英志 御厨誠吾
一噌隆之 幸正昭 亀井広忠 前川光範
後見 味方玄 梅田嘉宏
地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
永島充 佐久間二郎 小島英明 川口晃平
【音取置鼓・礼ワキ】
狂言方・脇鼓が退場し、地謡が地謡座に移動して静まり返った舞台に、笛と小鼓の厳かな独奏が交互に鳴り響き、やがてそれは合奏となって混じり合い、閑寂なハーモニーを奏でてゆく。
質朴な職人肌の幸正昭師の置鼓が得もいわれぬ味わいを醸し、舞台は静穏な空気に包まれる。
四段目の本ユリの笛で幕が上がると、濃紺の狩衣をまとったワキの欣哉師が颯然と登場。
幕前で、白鳥の羽ばたきのように両袖を広げて上下に振りながら爪先立ちに伸び上がり、スッと脇正側に向き直って右腕を突き出し、再びくるりと舞台を向いて腕を下ろし、風が吹き抜けるように橋掛りをサーッと進んで舞台に至り、常座で露をとって、橋掛りのワキツレとともに平伏。
笛がヒシギを吹くと、囃子は「静」から「動」へ転じて真ノ次第の早メ頭となり、ワキとワキツレは舞台正面で向き合い、「風も静かに楢の葉の」と次第を謡い出す。
このキリッと身が引き締まるような一連の流れがシビレるほどかっこよく、わたしは微弱な電流が身体に走るような感覚に襲われた。
【真ノ一声→シテ・ツレ登場】
幕が上がり、柴を背負い水桶を持った前ツレを先立てて、シテの樵翁が登場する。
シテの装束は抹茶色の小格子厚板に茶色地水衣、白大口。手には杖。
面は小牛尉だろうか。
どこか神がかった趣きのある品格の高い尉面をつけたシテは、まるで仙境から現れたかのような雰囲気をもち、あたりには神秘的な霧が立ち込めているようにも見える。
「老いを養う滝川の水や心を清むらん」
橋掛りで向き合い同吟するシテ・ツレのあいだに強力な気の磁場が形成される。
2人の強い意識の集中。
彼らは人間の親子ではなく、山神と観音菩薩の化身なのだろうか――。
不思議な泉を求めてやってきた雄略天皇の臣下たちと対面した樵親子は、「これこそその泉です」と言って、岩間から湧き出る泉を指し示す。
(雄略天皇の在位期間は5世紀後半とされ、これは仏教伝来前なので、後場に楊柳観音が登場するのは「?」なのですが。古代の霊泉ということで雄略天皇の御代に設定したのでしょうか。「君は舟、臣(民)は水」という暴政を諌める『荀子』の思想とも関係があるのかもしれません。)
【地クリ・シテサシ・地下歌・上歌→来序中入】
九郎右衛門さんの正中下居(or居グセ)を拝見するたびに、わたしは安田靫彦の「意想の充実」という言葉を思い出す。
「何物も描かれざる処に却って深い意味がある」ように、何もせぬところに観る者を惹きつける奥深い美の充実があり、美の放出がある。
すべては芸の力が生み出す美のかたち。
泉の水の薬効を樵から聞いた臣下が感涙に咽んでいると、にわかに天空が光輝き、妙なる音楽が聞こえ、花々が降り注ぐ。
シテが幕入りしたあと、ツレが脇正側を小さく一巡してから橋掛りに至り、来序で中入。
ここから光範師の太鼓が入ると、舞台の色が一気に鮮やかになり精彩を帯びてくる。
《養老・水波之伝》後場につづく
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