《国芳もよう正札附現金男 野晒悟助》1845年 山東京伝読本のヒーローを描いた大判錦絵 着物に描かれた悟助トレードマークの髑髏模様は、国芳らしくネコの寄せ集め |
かなり混んでいましたが、幕末浮世絵好きのわたしにとってはパラダイス!
会場に4時間くらいいたけれど、まだまだ見足りないくらいでした。
嬉しいことに、「当世艶姿考(アデモード・スタイル)」というコーナーが期間限定で撮影可能だったので、気に入った画像の一部を紹介します。
国貞《見立邯鄲》、1830年、団扇絵間判錦絵 |
唐団扇を思わせる透かし団扇から、洗い髪をなびかせた女の赤い唇がなまめかしくのぞく。
女が見つめているのは、「胡蝶の夢」を暗示する蝶の金物細工。
儚さを象徴する蝶の遠景では、輿を担いだ勅使たちが盧生を迎えに赴き、
女の背後には邯鄲の宿らしき建物が見える。
国貞《美人八景 晴嵐》、1833年、団扇絵間判錦絵 |
↑夜空の微妙な色合いのぼかし表現、風に靡く髪と手ぬぐいの躍動感、そして、絞りの布の絶妙な質感表現が秀逸。
円熟した絵師・彫師・擦師の技術の粋が味わえる。
【三都美人くらべ】
面白かったのが、大阪・京都・江戸の三大都市の傾城が妍を競うという趣向の《全盛遊 三津のあひけん》。
三人の花魁に狐拳(ジャンケンの一種)のポーズをとらせ、
結果は「あいこ」で勝負なし、というオチがついている。
国貞《全盛遊 三津のあひけん》「大坂新町」、1818-25年、三枚続の一枚 |
紅色の打ち掛けに緑の帯という、補色同士のインパクトのある組み合わせ。
コテコテの浪花遊女らしいコーディネート。
髪にも、赤い鹿の子で印象的に。
唇には当時流行の高価な笹色紅。
メイクとファッションには金に糸目をつけない上方魂があらわれている。
国貞《全盛遊 三津のあひけん》「江戸新吉原」、1818-25年、三枚続の一枚 |
裾に梅柄をあしらった渋い紫鼠の打ち掛けに、エキゾチックな更紗模様の内着、襟や膝元からのぞく赤い襦袢が色っぽい。
表面はシックに、でも、隠れたところにオシャレ。
江戸のモードを感じさせます。
国貞《全盛遊 三津のあひけん》「京嶋原」、1818-25年、三枚続の一枚 |
前に長く垂らす「だらりの帯」は、赤地の大胆な蝶の柄。
一般的な「はんなり」のイメージとはひと味ちがうところが面白い。
現在も京舞妓に受け継がれている吹髷も、嶋原太夫のあかし。
国貞《角町 大黒屋内 三輪山》1830-39年、大判錦絵三枚続の一枚 |
↑渓斎英泉の影響を思わせる猪首・胴長の美人画。
禿を脇侍のように左右に配して、源氏名の「三輪山」を構図で表現している。
国貞《本朝風景美人競 相模江ノ島》 |
国貞《本朝風景美人競 陸奥松島》、1830-35年 |
↑松島の海を思わせる深い藍色の打ち掛け。
赤い内着に青い博多帯をキュッと締めた粋な艶姿。
衣裳は豪華でも、足元は裸足なのに注目。
ほとんどの浮世絵には、(たとえ雪の日でも座敷内でも)足元は裸足で描かれている。
それが江戸の粋であり、色気であり、江戸っ子の健康法でもあったのかもしれない。
国貞《新吉原仮宅之図》、1816年、部分 |
作品タイトルには仮宅(仮小屋)での営業と、
廓が「火宅」の縮図であるという意味をかけているのでしょうか。
国貞《姿海老屋内 七人 つるじ たつた》 |
↑文政末期(1818-1830年)にベロ藍という人口絵具が大量輸入され、
天保の改革の奢侈禁止令で錦絵の彩色が制限されたことあいまって、
藍色の濃淡だけで描かれた「藍擦絵」が大流行した。
この流行の火付け役となったのは英泉だったが、
国貞は唇に紅を施してアクセントを利かせている。
(花魁も英泉風の猪首・五頭身美人?)
撮影可能コーナーは国貞の絵ばかりだったのですが、
国芳の作品も《相馬の古内裏》《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図》《観世音霊験一ツ家の旧事》などの有名どころをはじめ、武者絵、役者絵、そしてネコの絵が充実。
また、当時の千両役者(七代目市川團十郎、二代目岩井粂三郎、三代目坂東三津五郎、三代目尾上菊五郎、五代目市川海老蔵)を描いた色紙判擦物三枚続(国貞)は、御贔屓筋だけに配った非売品の限定品で、絵具に銀泥が使われていたり、桜花や着物の菱紋にエンボス加工が施され、色紙の厚みを利用して立体感がつけられた贅沢な作品群でした。
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