2015年6月14日日曜日

片山九郎右衛門 ~ 能の世界

2015年6月13日(土) 15時~17時     東洋大学・井上円了ホール

【第1部 能役者としての道】
1 少年時代、《羽衣》キリ謡のお稽古体験
2 父である片山幽雪氏から学んだこと
3 仕舞《岩船》の実演
  九郎右衛門さん、清愛さんの初シテ《岩船》の映像
4 道成寺・披きについて
5 幽雪氏の思い出、片山家について
6 独吟《江口》


【第2部 現在の活動】
7 世阿弥について
8 片山九郎右衛門という名を受け継ぐことについて
9 能の普及活動について、
  絵本『天狗の恩返し』《大会》の朗読
10 伝統的な枠組みから離れた現代的な試みについて
11 舞囃子《獅子》
(DVD『片山清司・日本伝統文化振興財団賞受賞』をBGMにして)



哲学堂には行ったことがあるけれど、井上円了ホールには初めて。
3年前にはイェーツ原作の《鷹姫》(九郎右衛門さんが鷹姫役)が上演されたそう。
行きたかったなー。

この日は600席がほぼ満席。
「京都在住の私の講演にこんなに多くの人が集まってくださって」と、
九郎右衛門さんの衒いのない言葉。
今回、はじめて謡以外の九郎右衛門さんの生の声とお人柄に触れたのだけれど、
ほんとうに自然体で飾り気のない方で、そしてちょっとお茶目で、真っ直ぐで、
それでいて「ああ、やっぱりB型やな(笑)」と思う部分もあり、とにかく魅力的な方でした。

               
お話の内容は、過去のインタビュー記事とほとんど同じものでしたが、
九郎右衛門さんのソフトな語り口でうかがうと楽しさ倍増。
冗談交じりで話されていたけれど、ほんとうは想像を絶するほどの厳しい芸の世界で生きてこられたのだと思う。

まずは少年(幼年)時代の思い出。
能楽師の片山家と京舞の井上流のお稽古場兼住居のような環境で、人間国宝の祖母・父をはじめ、お弟子さん・門下の方々やら舞妓さん・芸妓さんやらに囲まれて育ち、扇はおもちゃのようなもので、子方として立った舞台はお遊戯のようなものだったという。

それがある時から「親父が豹変した」。
ある日、社中会で謡を間違えたところ、楽屋で幽雪さんから部屋の壁に吹き飛ばされるくらいの勢いで、ボコボコに殴られたそうです。
以来、超スパルタで、子方で舞台に出ると、鏡の間で親父(幽雪さん)が仁王立ちになって待ちかまえているので、揚幕の中に帰るのがとても怖かったとのこと。

中学時代に観世寿夫師に弟子入りする話が出ていたけれど、早くに亡くなられたため、高校時代には8世銕之亟に九郎右衛門(清司)さんが直談判して弟子入りしたのだが、それを聞いた幽雪さんが怒って1月以上口を聞いてくれなかったのを、4世井上八千代(清司さんのお祖母様)が仲介しておさまったという。


8世銕之亟(静夫)と9世九郎右衛門(幽雪)とは、同じ華雪・雅雪の弟子でありながら、2人の教えはまったく違っていたので、清司少年は混乱したのだそう。
特に19歳で《道成寺》を披いた時は、2人の師がまったく正反対のことを言うので大変迷ったが、能の答えは1つではないことを悟ったとのこと。

幽雪さんの老女物、特に《姨捨》からは、偏りのない光(無偏光)であまねく照らす月と戯れる、可愛らしく品の良い老女の姿と、理屈抜きの教えを学んだという。
最晩年の幽雪さんのお能は、傍目からは工夫や発見に見えても、「身体がこうしか動かんのや」という状態から生まれたもので、これこそ老後の初心であり、巌に花の咲かんがごとし、ということではなかったのかと、「能には果てあるべからず」という言葉を父・幽雪の姿から実感した、というようなことをおっしゃっていました。

こうしたお話の合間に、《羽衣》の謡のお稽古体験がありました。
難しい節付けは抜きで、「立てる人は立ち上がって、向こうの壁に声がぶつかって跳ね返ってくるくらいの大きな声で謡ってください」という御指導があり、観客一同起立して、思いっきり大きな声で「東遊のかずかずに」を熱唱。
立ちあがって謡うのは初めてだったのですが、本当にお腹の底の底から声を出すのって気持ちいい!

そのほか、九郎右衛門さんの初シテ《岩船》の映像と、清愛さんの初シテの映像が、背後のスクリーンに流れたのですが、照明を落としてなかったので、影のように薄く、あまり見えなかったのが残念。

その後、九郎右衛門さんの仕舞《岩船》の実演。
これは九郎右衛門さん自身が謡いながら舞うので、ちょっと大変そうでした。

最後の《獅子》の舞囃子の時も(舞囃子といっても、お囃子はつかず、私も持っているDVD『片山清・日本伝統文化振興財団賞受賞』の音をBGMにして九郎右衛門さんが《石橋》を舞うもの)、ホールの壇上の舞台では、能舞台とは違って着地した時の衝撃が強く、滑りやすそうなので、飛び返りや飛び安座などのアクロバティックな型の多い《獅子》では、大事なお身体を傷めるのではないかとちょっとハラハラ。

やっぱり能楽堂と比べると、ホールの舞台では、九郎右衛門さんの芸の魅力を十分の一も伝えきれない。
それだけ能舞台はお能に最適な優れた装置なのですね。


ちょっと話が飛んだけど、第一部の最後は幽雪さんに捧げる《江口》の独吟で終わったのでした。



休憩をはさんで、第二部で特に良かったのが、九郎右衛門さんの絵本『天狗の恩返し』の朗読。

『天狗の恩返し』はお能の《大会》を絵本化もの。
お能の《大会》では天狗が帝釈天に懲らしめられ、退散するところで終わるのですが、
九郎右衛門さんの絵本は、天狗に対する眼差しがやさしく、天狗と僧侶の心の交流もていねいに描かれていて、心あたたまる物語になっています。

九郎右衛門さんが書いた言葉は愛情に満ちていて、それが、スクリーンに映し出された挿絵と見事に溶け合い、どんどん引き込まれていきました。

九郎右衛門さんは「朗読のプロじゃないから」と謙遜されていたけれど、
俳優や声優さんの朗読よりも、やさしく、誠実な声で、
幼いころに両親や親せきのお兄さんに読み聞かせをしてもらった記憶が
よみがえってくるようで、懐かしく、心が和みます。
(九郎右衛門さんの絵本朗読CD、ぜひぜひ出してください。)

小中学生にお能について教える際の「有機的な教材」がほしいという理由から、
こうした絵本を制作されたそうですが、ほんとうに生気の宿った、ぬくもりのある絵本。

                              
私が九郎右衛門さんの舞台に惹かれる理由のひとつも、抽象的な型の中に、
有機的で血の通った何かを感じるからかもしれません。

「どんな人に能楽師になってほしいですか?」という質問に、
「何かに傷つき、喜ぶ人間。シティボーイではなく、私のようにジャガイモのような感じの、鬼の気持ちも分るような人間ですね」と答えていらっしゃったのも九郎右衛門さんらしい。

絵本を朗読する九郎右衛門さん自身もとても楽しそうで、
会場全体がほんわりした空気に包まれた幸せな時間でした。


この方って、清濁併せのむことは多々多々あるだろうけれど、
泥の中に咲く白い蓮の花のような、名前通りの心の清らかな人なんだろうな。



追記: 東洋大学のサイトに当日の動画が公開されていました。
https://www.toyo.ac.jp/site/koza/77997.html




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