2014年6月2日月曜日

片山九郎右衛門の《邯鄲・夢中酔舞》


(国立能楽堂企画公演「演出の様々な形」(2014529日)の続き)

 

能 邯鄲 夢中酔舞 【観世流】 
  シテ 盧生 片山九郎右衛門  子方 味方梓
  ワキ 勅使 森常好 
  ワキツレ 大臣 森常太郎 舘田善博 梅村昌功  

  輿昇 野口能弘 野口琢弘

  アイ 宿の女主人 茂山茂
  笛 杉市和  小鼓 幸正昭  大鼓 柿原弘和 太鼓 観世元伯
  後見 味方玄 梅田嘉宏
  地謡 谷本健吾 長山桂三 馬野正基 柴田稔
      岡田麗史 清水寛二 観世銕之丞 西村高夫
  引立大宮解体・運搬 安藤貴康 観世淳夫

 

 

アイ(宿の女将)の名ノリと「邯鄲の枕」の紹介の後、シテの盧生が登場。

シテの装束は、邯鄲男の面に唐帽子、名物裂のような上品な色柄の厚板唐織、半切、法被、縫紋腰帯。手にはそれぞれ唐団扇と水晶数珠。

この邯鄲男の面が宝生流のそれとはかなり印象が違っていて、ちょっと埴輪っぽいニュートラルな表情。

このニュートラルな表情の面が、シテの扱いによって豊かな表情へとさまざまに変化していく。

ヘアスタイル(?)も、先日の宝生流宗家が演じた盧生では黒頭を用いたため「悩める青年」といったイメージだったけど、九郎右衛門・盧生は唐帽子を被り、思索的な求道者といった風情。

こうした装束の違いでも、各シテがそれぞれ描こうとした盧生像の違いが分かる

 

「住み馴れし、国を雲路のあとに見て」と道行を謡いながら橋掛りを行く盧生。

相変わらず九郎右衛門さんの足の運びは、地上から1センチくらい浮いているかのよう。
重力の存在を感じさせない美しいすり足。
 
 

邯鄲の里に着いた盧生は、いったん床几に腰かけて、宿の女将との問答の後、粟飯を焚いている間、邯鄲の枕で眠ることを勧められ、仮寝の夢を見ることにする。

 

シテが一畳台の床に横になり、ワキに起こされて譲位の旨を告げられ、玉の輿に乗り、荘重な真之来序が奏されるなか、玉座(先ほどの一畳台)に座すまではほぼ定型通り。

玉座についたシテは、斜め右(目付柱寄り)を向いて絢爛豪華な宮殿の様子を堪能し、「東に三十余丈に」で左を向き、「西に三十余丈に」で右を向いて、「不老門の前には日月遅しといふ心をまなばれたり」で、感嘆したように両手をあげる。

ここも、ほぼ定型通りだったと思う。

 

あっという間に50年が経ち、祝いの酒宴が催される。

「栄花にも栄耀にもげにこの上やあるべき」と子方(味方梓)が夢之舞を舞う。

 

夢之舞の途中からシテは後ろを向き、後見(味方玄)が法被の右袖を脱がせて、邪魔にならないようシテの腰に入れ込む。

 

ここからいよいよ一畳台の上で舞う「楽」に入っていく。

八田達弥師のブログ「ぬえの能楽通信」によると、笛の森田流と一噌流とでは「空下り」の部分の譜がまるで違うという。

太鼓も観世流と金春流とでは「空下りノ手」が異なるのだそうだ。

「笛と太鼓の流儀のコンビネーションによって、シテが足拍子を踏むタイミングや足拍子の数が違う」ため、「シテは笛と太鼓がうまくあたるように型の配分を考え」ねばならず、「笛の森田流と太鼓の観世流の取り合わせが一番複雑になる」と八田師は述べている。

 

この日の笛方は杉市和(森田流)、太鼓方は観世元伯(言うまでもなく観世流)。

一番複雑な取り合わせだ。

(いったいどれほど複雑なのか、素人には想像もつかないけれど。)

 

引立大宮の中で舞う九郎右衛門の「楽」は、まるで水中で舞っているように、たゆたうような夢の中の世界を体現していた。

 

地上の重力の法則は、片山九郎右衛門には及ばない。

引立大宮は透明なアクアリウムと化し、盧生はプルーストの小説に出てくる「水族館のガラスの向こうの魚」のように優雅に漂っている。

私はただもう、美酒に酔いながら甘美な夢を見ているように、ひたすら美しい舞に見入っていた。

 

ここからが九郎右衛門の芸の真骨頂。

「空下り」の後、後ろを向いて一畳台に腰かけ、しばし休息する(「遠見」)のが通常のやり方で、先日の宝生流でもこの「遠見」を挟み、台から下りて、一畳台の前を通って舞台正先に出ていた。

 

でもこの日、九郎右衛門さんは「空下り」の後、何か考えるように下を向く仕草をした後、そのまま一畳台から降りて舞台中央に出て、「楽」の残りを舞っていた。

なるほど、このほうが酔いのうちに興にのって舞っている気分が見所にも伝わってくる。

「遠見」を挟んで、舞の間に休息を入れてしまうと、感興の余り舞うという勢いや連続性がぶつりと途切れてしまうからだ。

夢の中で酔って舞っている、夢中になって酔いしれて舞っているという「夢中酔舞」の演出としては、たしかに九郎右衛門さんのこのやり方のほうがふさわしい。

 

舞台で舞っていたシテがさらに感極まって橋掛りでも舞い興じていると、太鼓がダダダッとダイナミックな転調をして、ワキツレ・子方が切戸からさっと消え、シテは一気に舞台を横切り、一畳台上に飛び込んでいく。

シテが横になった勢いで唐帽子が脱げたけど、後見がそつなく対処していた。

(このあたりが九郎右衛門と味方玄の阿吽の呼吸。)

ただ、枕に頭を打ち付けたような感じだったため、シテが脳震盪を起こしたのではないかと少し心配になったほど。

 

シテがゆっくりと身を起こす。

舞台も見所も水を打ったように静まり、「永遠の一瞬」ともいえるほどの長い間。

一秒、二秒、どれくらい経っただろうか、ようやくシテが「盧生は夢覚めて」と沈黙を破る。絶妙の間だ。観世寿夫が井筒をのぞいた時のような、計算され洗練され尽くした絶妙の間。

ここからの、夢から現への移行、そして悟りの瞬間への移り変わりが素晴らしかった。

「つらつら人間のあり様を案ずるに」で膝を抱えて思索し、「栄花の望みも齢の長さも……何事も一炊の夢」で面をテラして悟りの瞬間を表現し、「知識はこの枕なり」で枕にお辞儀をする。

 

《邯鄲》でよく言われるのが、夢を見たくらいでそんなに簡単に悟れるものだろうか、という疑問だけれど、九郎右衛門さんが丹念に演じた覚醒からの一連の所作は、そうした疑問を払拭させるほどの、説得力のあるものだった。

 

九郎右衛門さんのお舞台をもっと拝見したい!

 

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