狂言の《悪坊》。
悪名高い悪坊が、1人の僧を無理やり同行させ、腰をもませている間に眠ってしまい、僧侶の持ちものとすり替えられる。目が覚めた悪坊に残されたのは僧侶の所持品。仕方なく出家姿になってみると、これも仏の導きだと改心するお話。
面白い狂言と面白くない狂言を分ける要素のひとつは、「間」の取り方だと思うけれど、この日の狂言は間の取り方も発声も巧くて、楽しめました。
悪名高い悪坊が、1人の僧を無理やり同行させ、腰をもませている間に眠ってしまい、僧侶の持ちものとすり替えられる。目が覚めた悪坊に残されたのは僧侶の所持品。仕方なく出家姿になってみると、これも仏の導きだと改心するお話。
面白い狂言と面白くない狂言を分ける要素のひとつは、「間」の取り方だと思うけれど、この日の狂言は間の取り方も発声も巧くて、楽しめました。
休憩をはさんで、能《鵜飼》。
楽しみにしていた武田文志さんの舞台です。
楽しみにしていた武田文志さんの舞台です。
ワキ・ワキツレが登場してアイとの掛け合い。
旅僧は村人に宿を請うが、この村ではよそ者に宿を貸すことは禁じられているから、御堂に泊るよう勧められます。
旅僧の一行が御堂で待っていると、一世の囃子で、手にたいまつを持った老人があらわれます。
この老人の立ち姿、ハコビがとても美しく、「鵜使ふことのおもしろさに、殺生をするはかなさよ」と、少し老人らしく枯れた味わいのある謡で橋掛りを進んできます。
シテが僧に自分が鵜使いであることを明かすと、従僧(ワキツレ)が、数年前にこの鵜使いの家に泊り、丁重にもてなしてもらったことを思い出します。
(この一宿一飯の善行が起因となって、殺生戒を犯した鵜飼が成仏できるので、《鵜飼》では珍しくワキツレがキーパーソンとなっています。)
シテはワキに請われるままに、鵜飼の様子を再現して見せるのですが、この鵜之段が凄くよかった!
右手にたいまつ、左手には鵜籠に見立てた扇を持ち、鵜を自在に操りながら、魚を取るさまを舞で表現します。
「おもしろの有様や、底にも見ゆる篝火に、驚く魚を追ひまはし、かづき上げすくいあげ、隙なく魚を食ふ時は、罪も報も後の世も、忘れ果てておもしろや。」
闇夜でたいまつの明りだけが灯り、水面に無数の鵜の姿が見え隠れする情景が浮かんでくるようで、「殺生がおもしろくてたまらない」という鵜飼の気持ちが生き生きと描写されていました。
そして「思い出たり、月になりぬる悲しさよ」で、シテはたいまつと扇を投げ捨て、悲しげな足取りで、闇路(冥途)へと帰っていきます。
中入後、早笛で、後シテの閻魔大王が登場。
たぶん小癋見の面、唐冠、赤頭が重いのか、おシテは少しバランスが取りにくそうでしたが、跳び安座や足拍子など、激しい動きの舞を舞いながら、鵜飼が僧侶をもてなした善行により成仏できたことを僧に伝え、法華経の功徳を称えて去っていきます。
* * * * *
帰りは土砂降り覚悟でしたが、能楽堂を出ると、澄んだ夜空に明月が出ていて、「ああ、いい舞台だったなあ」としみじみ感じながら帰途に着いたのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿