2020年4月11日土曜日

白井あさぎ七回忌追善・春青能~無観客公演

2020年4月11日(土)冬青庵能舞台

舞囃子《田村》青木真由人
 竹市学 吉阪一郎 河村大
   浦田保親 大江信行 大江広祐

仕舞《弱法師》片山九郎右衛門
 味方玄 分林道治 梅田嘉宏

(舞台の清掃・消毒)

能《半蔀・立花供養》青木道喜
 宝生欣哉 松本薫
 竹市学 吉阪一郎 河村大
 味方玄
 片山九郎右衛門 浦田保親
 分林道治 大江広祐
 立花 上村錦昭師



緊急事態宣言発令から4日目。
この過酷な状況の下、大変なご苦労をされている方々のお舞台が「無観客公演」としてネット配信された。

「白井あさぎ七回忌追善」と銘打つこの公演は、18歳で夭折された白井あさぎさんの追善能としてご両親が主催されたもので、今回で5回目とのこと。この公演日が祥月命日だという。

公演フライヤーの主催者挨拶には「先行きの望みを失いかけました」と書かれていて、どんなにかお辛いことだったろうと胸が痛む。と同時に、こうして追善能を続けてこられたのは、ご両親にとってお能がかけがえのない心の慰めとなってきた証しであり、いま、この非常事態のなかで久しぶりに映像を通じてお能に触れ、渇いた心に癒しと潤いを与えてくれたお能の力をありがたく実感した自分の気持ちとも重なるように思えた。

芸術は、人間が人間らしくあるためになくてはならないものであり、人間存在の根幹にかかわるものだと強く感じた。芸術が滅びれば、人の心も滅びてしまう。



《半蔀・立花供養》
故人の学生時代に能楽サークルで御指導された青木道喜師による《半蔀・立花供養》。曲も内容も七回忌追善に誠にふさわしく、隅々まで神々しい清らかさに満ちていた。

序ノ舞の途中で、シテとワキが立花に向かって合掌するところが強く印象に残った。

輝くほど白いシテの装束が舞台床の鏡面に映り、その厳かな姿から故人への深い追慕の念が香煙のように立ちのぼる。師の思いを受けた花に故人の魂が降り立ち、少女のような薄紅色の丸い花がほほえんでいるように見えた。

可憐な面影の宿るその花を、竹市学さんの笛の音がやさしく包んでいた。竹市さんの笛は悲しいなかにも、やさしさがある。

そしてなによりも、宝生欣哉さんの静かで美しいハコビと姿が最大の供養のように思えた。





舞囃子《田村》
青木師のご子息の青木真由人さんの舞囃子《田村》はキリッと引き締まり、凛々しく、清々しい。この重苦しい時代のなか、一条の希望の光が射し込んだようだった。


仕舞《弱法師》
何か月ぶりかに拝見する九郎右衛門さんの舞。
以前、舞囃子《弱法師・盲目之舞》を拝見して、いたく感動したのを覚えている。

この日の仕舞《弱法師》ではさらに表現をそぎ落とし、杖の動きも最小限に抑えられていた。シテは俊徳丸の内面へ深く入り込み、その重力につられて、カメラの向こうにいる私も俊徳丸の中へなかば引きずり込まれていた。


「今は入日や落ちかかるらん」で、シテは西の空に顔を向ける。
目を閉じた九郎右衛門さんの顔が弱法師の木彫りの能面に見え、その顔面を赤い夕日が照らしていた。俊徳丸のまぶたの薄膜を通して、落日の光が透過するのがこちらの目に映り、西日のまぶしさとぬくもりが伝わってくる。

「淡路絵島、須磨明石、紀の海までも、見えたり見えたり」のところでは、俊徳丸が耳で見た情景、繊細な皮膚で感じた潮風と春の空気がありありと感じられた。


九郎右衛門さんはこのところ何年も、殺人的なスケジュールで長距離を全力疾走してきた。

この辛く苦しい充電期間を糧として、九郎右衛門さんの芸はさらに磨かれ、深化していくことを確信しつつ、少しでも早くこの疫禍が収束して、実際のお舞台をふたたび拝見できる日が来ることをお祈りしています。