2017年8月26日(土)15時30分~17時30分 喜多能楽堂
仕舞《白楽天》 佐々木多門
《敦盛クセ》 粟谷充雄
地謡 塩津圭介 佐藤寛泰 谷友矩 佐藤陽
素謡《井筒》シテ 友枝昭世
ワキ 長島茂
友枝昭世 粟谷能夫 大村定 谷大作 長島茂
粟谷浩之 金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 友枝真也
仕舞《蝉丸》 長島茂
《融》 粟谷明生
地謡 佐藤章雄 塩津圭介 佐藤寛泰 佐藤陽
素謡《金輪》シテ 出雲康雅
ワキ 狩野了一 ワキツレ 大島輝久
香川靖嗣 塩津哲生 出雲康雅 粟谷明生 内田安信
佐々木多門 狩野了一 中村邦生 粟谷充雄 大島輝久
こういう素謡と仕舞だけの会ははじめて。
番組と配役が素敵なので行ってきました。
関東大震災と戦災で二度にわたり能舞台を焼失させるという辛酸をなめた十四世六平太。
その悲願がかない、やっとの思いで再建された現在の喜多能楽堂。
能楽堂入り口の重厚感のある木製の扉は、焼失した能舞台の名残でしょうか。
こうして素謡・仕舞の会で改修勧進が行われ、大切に、大切に補修されている……。
素謡《井筒》
友枝昭世さんは二年半前の「友枝昭世の會」で《井筒》は舞納めにされたという。
自決用の懐刀をしのばせて臨むような覚悟で、ひとつひとつの舞台を舞っている(少なくともわたしにはそう見える)。
「友枝昭世」という究極のブランドについてまわる観客の高い期待。
それを、歳を重ねても決して裏切らない舞台を続けている。
その想像を絶するほどの困難さ。
暁ごとの閼伽の水、月も心や清むらん
あのときの舞台を観ているからだろうか、シテの謡は井筒の女そのものに聞こえ、水桶と数珠を持った唐織姿の美しい女が、陽炎のように半透明になってスーッと舞台に立ち現れる。
井筒の女の美しい姿と、能面の裏側にあったシテの表情が二重写しになり、ああ、あのとき昭世師はこんなふうに謡っていたのか、とか、こんなふうに思いを込めていたのか、ということが素謡の進行に合わせて見えてくる。
昭世師の謡は、謡だけが突出して巧いという類の謡ではなく、その曲を舞っている時とまったく同じように(おそらく心の中で、魂そのものが舞いながら謡っているのだろう)、その時々のシテの所作や動きが視覚化されるような謡。
形見の直衣、身に触れて恥ずかしや。昔男に移り舞
ここのところはとりわけ情感がこもっていて、わたしも感極まって涙があふれてくる。
クライマックスはシテと地謡の謡がともに素晴らしく、二年前の舞台の時に耳にこびりついていた「さながら見みえし昔男の冠直衣は、女とも見えず、男なりけり、業平の面影」で最高潮に達し、井戸に手をかけて中をのぞきこみ、さらにススキをかき分けて井戸を深くのぞいた、あの印象深いシーンがよみがえってくる。
最後は、秋の気配を感じさせる静かな余韻━━。
仕舞四番
こういう会の仕舞って、舞手の色紋付姿もちょっとしたファッションショーみたいで秘かな楽しみ。
着付けの仕方も、襟を鈍角に合わせて詰め気味に着る人や、鋭角に合わせてゆったりと着る人、(おそらく補正で)胸・腹をふくらませる人、逆にお腹がすっきり見えるよう工夫する人など、さまざま。
トップバッターは、品のいいスモークパープルの色紋付の佐々木多門さん。
《白楽天》は能はもとより、舞囃子・仕舞もあまり観たことがないので、ストーリー以外どういうものかわからないのですが、男神の真ノ序ノ舞物だからかなり重い位なのですね。地謡も難しそう。
とにかく、十月の《楊貴妃》がとても楽しみなのでした。
次は粟谷充雄さんの《敦盛クセ》。
こちらはキリリとした黒紋付。たしか二月に仕舞を拝見した時は別の髪型だったと思うのですが、この日は僧侶の剃髪のような頭がジョン・マルコヴィッチのようで素敵でした。
《逆髪》の長島茂さんは薄灰色の色紋付。
わたしはこのとき咳の発作に見舞われそうになり、下を向いて抑えるのに必死だったので、見どころの水鏡に姿を映すところも拝見できず。
最後は白茶の色紋付の粟谷明生さん。
今まさに身体能力・技術力と豊かな経験が交差した円熟期の舞。
(身体を絞っていらっしゃるのかな……以前と比べて引き締まって見える)
欠けたることもなき望月のような、存在感のある《融》の仕舞でした。
素謡《鉄輪》
《鉄輪》は素謡だと、なぜか狂言役がいないから、前場はほとんどシテ一人の謡。
そんなわけで前場は独り舞台的な感じで終わり、物語は後半へ。
ワキツレ・浮気男の大島さんと、ワキ・安倍晴明の狩野了一さんの掛合が見事。
とくに狩野晴明の祈りの謡「肝胆を砕き祈りけり、謹上再拝」には強い呪力がこもっていて、この曲の素謡の白眉だった。
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