2016年8月8日月曜日

観世会定期能八月~ 《半蔀》 

2016年8月7日(日) 13時~17時15分  梅若能楽学院会館
観世会定期能八月《橋弁慶》《酢薑》からのつづき

能《半蔀》 シテ里女/夕顔の霊 観世清和
       ワキ僧 殿田謙吉 アイ所ノ者 能村晶人
       一噌隆之 亀井俊一 佃良勝
       後見 武田宗和 坂口貴信
       地謡 坂井音重→休演 観世恭秀 中島志津夫 関根知孝 浅見重好
           北浪貴裕 野村昌司 坂井音晴 井上裕之真
           (休憩15分)

能《野守・白頭》 シテ野守ノ翁/鬼神 片山九郎右衛門
       ワキ山伏 宝生欣哉 アイ春日ノ里人 野村虎之介
       杉信太郎 曽和正博 守家由訓 観世元伯
       後見 関根祥雪→山階彌右衛門 武田尚浩 坂口貴信
       地謡 野村四郎 林喜右衛門→休演 岡久広 井上裕久
           高梨良一 小早川修 坂井音雅 武田文志 武田宗典




《半蔀》は類曲《夕顔》と比べると、「キレイなばかりでどうも奥行きに欠ける曲」と思っていたのですが、この日宗家の《半蔀》は優美ななかにもしっとりとした情趣にあふれ、、男性目線の理想の女性とはこういう人なのだろうと思わせる舞台でした。

そして何よりも、後シテの長絹が素晴らしい!
世の中にこれほど美しい織物が存在したのかと思うくらい素敵だったのです。


【前場】
舞台は、紫野・雲林院の僧による立花供養の場面からはじまります。

ワキの僧は、角帽子、茶水衣、無地熨斗目着流。
白い房を二つ付けた数珠を手に、正先に立花が置いてある心で「草木国土悉皆成仏」と唱えます。


これが、本物のお坊さんにお経を唱えてもらっているようで、聴いている側も供養され弔われているような、癒し効果の高い声とトーン。
お盆の時期というのもあるのでしょうか、大事な人の法事に参列している時のように胸にじんわり沁み込む殿田さんの誦経。

なるほど、
こうやってワキは舞台の空気を塗り替え、曲にふさわしい状況を設定していくのですね。

この立花供養に惹かれて、夕顔の亡霊が現れるのもうなずけます。



シテの登場はアシライ出シ。
この囃子とシテの登場の仕方が、僧の誦経に誘われて花の蔭からフラフラッと漂い出たような風情を醸し、夕暮れ時のほんの短い間にしか咲かない夕顔の儚さとリンクします。


前シテは輝くようなプラチナカラーの唐織、白衿二枚重・白地鬘帯という、白い夕顔をイメージした白尽し。
面は――、
これがよく分からなかったのです。
増にも見え、若い深井のようでもあり、若女といえなくもない。
(要するに、わたしの知識不足。)

年齢不詳というか、若く見えたり、臈たけて見えたり、後シテの面と同じようでもあり、違うようでもあり……。
たぶん、以前にも観たことがあるかもしれない。
でも装束や舞い手によって随分表情が違ってくるのですね。
それが能面の面白いところ。


今はこの世にない女は、「五条のあたり」という言葉を残して立花の蔭に消えます。
(シテは送り笛で中入り。)


【後場】
坂口さんと武田友志さんによって半蔀の作り物が一の松あたりに置かれます。

ワキの謡のあと、一声の囃子にのって後シテが登場。
冒頭でも書いたけれど、この時の装束が息を呑むほどの美しさ。


グレーがかったごく薄いアイスブルーの精緻な長絹。
蜻蛉の翅のような透明感がいかにも脆く儚げで、触れるとフッと消えてしまいそう。


裾にいくほど濃くなるようにグラデーションがついていると思ったのですが、白い内着の部分が明るい水色に、袴や内着の足りない袖の裾の部分が濃いブルーになっているのでそう見えたようです。

この繊細な(おそらく紗の)長絹には、水玉のような朝露と弓状の露芝が金泥と金糸であしらわれ、これが見方によっては夜空に瞬く星辰と流星のようにも見え、とてもロマンティックな雰囲気。

サーモンピンクのような明るい緋大口とそれにマッチする朱色の露とのコーディネートも秀逸で、全体的に甘美な印象です。


クセは居グセではなく、舞グセで、この艶麗な姿を惜しげもなく披露してくれます。


序の舞の途中で橋掛りに行き、半蔀の蔭で右袖を巻きあげ、懐旧に浸るように俯きがちに遠くを見込む。
源氏との思い出、そして頭中将との愛の日々。


彼女が待っていたのは、ほんとうに愛したのは、どちらの男性だったのか――?

(《半蔀》の詞章には、夕顔が頭中将に送った歌「山がつの垣ほ荒るともをりをりに、あはれはかけよ撫子の(露)」も助詞を若干変えつつ織り込まれていて、後シテの長絹の露の文様もこの歌に掛けているのかもしれません。)

観客の想像力をかき立てるシテの余情あふれる姿。


やがて夜明けが近づき、僧の弔いによって花の精のごとく清らかに透明感を増したシテは、半蔀のなかに朝露のように消えていったのでした。



片山九郎右衛門の《野守・白頭》~観世会定期能八月につづく




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