公演パンフレット |
お話 味方 健
仕舞《生田敦盛キリ》 味方 團
《遊行柳》 味方 健
地謡 河村晴道 分林道治 梅田嘉宏 安藤貴康
舞囃子《三山》 片山九郎右衛門
観世淳夫
藤田六郎兵衛 成田達志 亀井広忠
地謡 観世喜正 角藤直隆 味方團
安藤貴康 鵜澤光
能《山姥 雪月花之舞 卵胎湿化》 味方玄
谷本健吾 宝生欣哉 大日方寛 梅村昌功
石田幸雄
藤田六郎兵衛 成田達志 亀井広忠 観世元伯
後見 清水寛二 味方團
地謡 片山九郎右衛門
観世喜正 河村晴道 分林道治
角当直隆 梅田嘉宏 武田祥照 観世淳夫
拝見するのは二年ぶり二度目のテアトル・ノウ東京公演。
早々に完売してキャンセル待ちも多かったとか。
関西からも大勢駆けつけて、相変わらず凄い人気です。
まずは、味方健師の解説。
関西在住の人が羨ましいと思うのは九郎右衛門さんの舞台が圧倒的に多いのと、健師の講義・講座があるから。
この日、初めて味方健さんの解説をうかがったのですが、今まで聴いたどの解説よりも面白くて、勉強になる(分かりやすさを追求しないところがいい)。
明和9年(1772年)に刊行された『謡曲拾葉抄』には、「山姑とは輪廻無窮の体を名付て山姑と曰す。(略)一切衆生生死に沈輪するをよしあし引の山姥が山めぐりするとは云也」とあり、すなわち、煩悩を抱いたまま輪廻の輪の外に出ることができない、生きとし生けるものの宿業とそれを背負って生きる苦しみ、それが山姥の山めぐりに象徴されるとのこと。
この永劫に輪廻しつづけること、つまり無常流転のことを「飛花落葉」と、詩的・情緒的に暗喩したのがモンスーン(季節風)が吹くこの国の民族ならではの感性だった。
雪月花之舞で、花々をたずねて山をめぐり、月の影をたずねて山をめぐり、雪をたずねて山をめぐるのもモンスーン的な(四季をめぐる)山めぐりといえる。
また、世阿弥作「山姥の曲舞」(このクリ・サシ・クセの部分は本来独立した曲舞謡だったらしい)は本曲の骨格を成し、その[次第]の「よしあしびきの山姥が、山めぐりするぞ苦しき」は、曲舞の最後(立廻リの前)にも登場することから、この次第は(世阿弥が『申楽談儀』でいうように)曲舞の序歌であるとともに、いわばフィナーレでもあるという。
さらに、ここが目からウロコだったのですが、
この曲舞の[次第]の「よしあしびきの山姥が、山めぐりするぞ苦しき」の地取りで(ツレが床几にかかるタイミングで?)、シテの山姥がツレの遊女に乗り移り、雪月花之舞を舞うのは「山姥が憑依した遊女の身体」であって、山姥はリモコンのように遊女の身体を遠隔操作している設定になっているというのが健師の解釈(もちろん、実際に舞うのはシテなのですが)。
これは能楽界では常識なのかもしれませんが、わたしにはまったく思いもよらない発想だったので、「ええっ! そうだったんだ!」とビックリ。
蒙を啓かれるような思い。
あと、これは片山家独自の演出なのかな(他の観世流では違っていた気がするけれど)、雪月花之舞(破ガカリ三段之舞)の名称の由来となった一セイ「吉野龍田の花紅葉」「更科越路の月雪」をそれぞれシテと地謡が謡うのではなく、ツレとシテが謡う演出となっています。
また、通常はシテサシとなっている「一洞空しき谷の声……」のところもツレが担当(ここは他の観世流もこうなのかしら?)。
以上を踏まえて、
シテは真如実相の世界に属する実在(本体)であり、ツレは感覚世界に属する現象(仮相)もしくはシテの存在をワキや観客に伝えるための媒介or寄坐(よりまし)であると解することができるという。
ところで、替間「卵胎湿化」(大蔵流では「胎生」)で、アイが語る「四生」の内容が『法華経』に見えるというのはウソだが、これは当時『法華経』が広く流布していた証しであろうとのこと。
《山姥》は肉体的消耗の激しい曲だけど、内的精神力・内的把握を必要とする曲でもある。
役者の人生における生活体験の積み重ね、そして日々の生活のなかでの芸術体験の集大成として、この日の《山姥》の舞台が表現される、という趣旨のこともおっしゃっていました。
味方健さんの解説、もっと聞きたい!
氏の著作は『能の理念と作品』(和泉書院)以来、わたしが知るかぎり出ていないと思う。
これ以降の講義録などをまとめた本が出ないかしら。
ぜひぜひ、お願いします!
長くなったので、第32回テアトル・ノウ【東京公演】仕舞・舞囃子《三山》につづく
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