2014年5月19日月曜日

第22回深大寺薪能



能 百萬
                                                                             
 シテ 百萬 松木千俊    子方 武田章志  ワキ 村瀬提 アイ 山本則孝
 笛 松田弘之 小鼓 観世新九郎 大鼓 亀井洋佑 太鼓 小寺真佐人
 後見 佐川勝貴  武田友志
 地頭 武田志房
 地謡 武田宗典 武田祥照 武田崇史 松木崇俊
     武田文志 下平克宏 大松洋一



初めて行った深大寺薪能。
やはりお寺での薪能は風情があるし、風薫る季節、外にいるのが気持ちいい。

 
主催者・市長・深大寺住職の挨拶と松田存先生の解説が続いた後、いよいよ火入れ式。

僧侶の方々がお経を唱えながら、本尊の御燈明から聖火を移し、舞台の左右に設けられた薪に点灯。

 
まもなくお能《百萬》が始まったのだけれど、風向きのせいで、地謡が薪の黒煙に包まれ、能楽師のスモークができそうな勢い。

でも、そんな障害にもめげず、地謡がすごくよかった!
私が好きな観世流独特の、節回しにうねりを利かせた謡。

地謡前列にいる武田祥照さんは舞も巧いけれど、謡が抜群に上手い(この方が加わると、地謡のクオリティが格段にアップする。私が知っている能楽師さんってごくごく限られているけれど、二十代でこれだけ謡のうまい人ってなかなかいないように思う)。

 
地謡全体も、その大半が武田一族と松木Jrで占められていたこともあり、統一感があって舞台を盛り上げていた。

 
《桜川》や《隅田川》、《三井寺》など、我が子を探してさまよう狂女物の曲はいろいろあるけれど、なかでも《百萬》はその原型ともいえる古風な味わい。

子探し狂女物で太鼓が入っているのも珍しいし、
太鼓の出番も前半のみで後半はほとんどないのもユニーク。

 
シテの百萬は、若竹色の笹模様の長絹に前折烏帽子の出立。
 
面は白曲見。

この面は一見すると妖しげな雰囲気だけれど、シテの松木千俊師の面の扱いがとても巧みで、クモラス(下を向く)とそこはかとなく気品のある悲しげな様子になり、テラス(やや上を向く)と呆けたような狂女の危うさ、不安定な精神状態が醸し出され、場面に応じて表情が豊かに変化していた。

 
上の画像で分かるように、シテ柱と目付柱の間隔が狭いため、おシテはすり足の歩幅を狭くして調整されていた御様子。

薪の煙も喉や目を直撃していただろうし、かなり大変だったのではないかな。

 



《百萬》は車之段、笹之段、曲舞……と芸尽くしの曲だけど、私の席からは、横に伸びた青楓の枝とシテ柱が邪魔で、シテの姿が肝心なところで見えなくなってちょっと残念。

でも、そういう野趣あふれる所が野外能の醍醐味でもある。青楓は初夏の彩り、ということにしておこう。



 
最後は親子再会のハッピーエンド&「尽きせぬ宿こそめでたけれ」の付祝言でめでたくおしまい(と思ったけれど、余韻を楽しむ間もなく、御住職の終わりの挨拶が延々と続いたのだった……)。




本堂横の様子。 青楓に紅葉も混じっていてちょっと不思議。
季節を勘違いして紅葉したのか、それとも春に紅葉する種類の樹木なのか。


2014年5月11日日曜日

宝生会月並能5月公演


金曜日からの体調不良がまだ続いていて、行くかどうか迷った今日の宝生会月並能。

でも、お家元・和英さんの《邯鄲》をどうしても拝見したかったし、「観ないと絶対に後悔するから!」と直観が囁いていたので、思い切って行ってきました。

(お能の公演は一回限り。二度と同じ舞台を見ることができないから、ほんとうに貴重です。)

 
結果、凄く良かったです!

直観の声に耳を傾けてよかった!!

 
こういう深い感動があるから観能はやめられない。

 
今日は疲れたので詳しい感想は明日以降、書こうと思います

2014年5月10日土曜日

銕仙会定期公演〈5月〉


宝生の能楽堂で、浅見真州の「当麻」を見た。

何故、あの夢を破る様な笛の音や小鼓・大鼓の音が、いつまでも耳に残るのであろうか。夢はまさしく破られたのではあるまいか。舞衣の袖が翻り、蓮を載せた天冠がきらめき、中将姫は、いまだ眼の前を舞っているかのようであった……。
 

と、小林秀雄風に綴ってみたけれど、昨日の銕仙会定期公演〈5月〉は単純に、よかった、素晴らしかった、感動した、といった言葉では括れない舞台だった。

 

囃子方は一噌仙幸(笛)、大倉源次郎(小鼓)、柿原崇志(大鼓)、 観世元伯(太鼓)、
地謡は地頭に観世銕之丞、副地頭・浅井文義、西村高夫、清水寛二、柴田稔、馬野正基、北浪貴裕、長山桂三。
後見は野村四郎、浅見滋一
と、最高の陣営だけに、見る側〈私〉の期待も大きかった。

 
この日の《当麻》には「二段返」の小書がついていて、出端(後シテ登場の囃子事)の途中の越ノ段という箇所を過ぎたあたりから太鼓が特別な演奏を始め、大小鼓もそれに合わせて特殊な手組を加えて、菩薩となった中将姫の来臨を賛美する荘重な雰囲気を生み出すそうだ。

 特殊な手組でも難しい組でも、そこは名手ぞろい囃子方。

普段と変わらず、気迫はあるけど無駄な力が一切抜けた安定感のある演奏だった。
観世元伯さんは「失意泰然・得意淡然」が座右の銘だそうだけれど、舞台上でこの言葉から外れた姿を見たことがない。演奏も、掛け声も、バチさばきも常に素晴らしく、座っている時の佇まいは悟りを得た人のよう。

 
ツレの谷口健吾さんもそつがない。

足の運びも、謡も、立ち姿もとてもきれいだし、舞台に華を添えつつも、シテをたてるというツレとしての本分も決して忘れない。

癖のない正統派という感じだろうか。

銕仙会のみならず、観世流の能楽師がこの方をツレに選ぶのも分かる気がする。

 
ワキの宝生欣哉さんもとても良かったけれど、歌舞の菩薩となった中将姫から経巻を受け取るシーンは、もう少し重々しく受け取った方が……(サランラップの芯を受け取るような手軽さ)。
「重いものは軽く、軽いものは重く」って茶道でも言うから。

 以上、各パートを見るととても素晴らしかったのだけれど、いま一つ、私にとっては不完全燃焼な舞台だった。

 
たぶん、この御シテ様のお舞台を510年前に拝見していたらもっと感動していたかもしれない。

この方の絶頂期を知っているファンの方々はその姿と二重写しになって見えるのだろうか。
お能を最近見始めた私にはこの方の現在の姿しか記憶に刻まれない。

シテの現在の姿しか見えない私には、心に突き刺さるものがなかった。


追記:後シテに使われたのは是閑作の増女。
歌舞の菩薩となっただけでなく、「仏も我もなかりけり」の言葉通り、憧れの「俤人」たる阿弥陀如来と一体となった中将姫の高貴な神々しさを表すのにぴったり。
面の角度によっては、ベルニーニの《聖テレジアの法悦》に見られる、神(ここでは阿弥陀如来)との合一による神秘的恍惚の最中に中将姫がいるかのような表情にも見えた。

 

2014年5月5日月曜日

「いまの砧の声添えて、君がそなたに吹けや風、あまりに吹きて松風よ、わが心、通ひて人に見ゆならば、その夢を破るな、破れて後はこの衣、誰が来ても訪ふべき、来て訪ふならばいつまでも、衣は断ちも替へなん、夏衣、薄き契りは忌まはしや、君は命は長き夜の、月にはとても寝られぬに、いざいざ衣擣たうよ
(中略)
八月九月、げにまさに長き夜、千声万声の、憂きを人に知らせばや、月の色風の気色、影に置く霜までも、心凄きをりふしに、砧の音夜嵐、悲しみの声虫の音、交じりて落つる露涙、むー、ほろほろはらはらはらと、いづれの砧の音やらん」


《砧》の詞は胸が締め付けられるような、しみじみとする名文だ。
夫の帰りを一日千秋の思いで待つ妻の千々に乱れる思いが、秋の夜長の描写とともに表現されている。

この謡の節も何とも言えない哀調を帯びて味わい深い。


こんなに美しい言葉を堪能できるなんて、日本人に生れてよかったとつくづく思う。


昨日うかがった柴田稔先生舞台生活三十周年記念の社中会の《砧》も素晴らしいお舞台だった。

お囃子が(以下敬称略)藤田次郎、大倉源次郎、亀井広忠、小寺真佐人、ワキ方が宝生閑、大日方寛、アイ狂言が山本則孝、地頭が 観世銕之丞、副地が 西村高夫(そして地謡前列には私の好きな安藤貴康さん)、後見が柴田稔と野村四郎という豪華なメンバー。

(おシテ・ツレをなさった社中の方々もとてもお上手。《砧》のキーパーソン、夕霧を演じられた方は特に。)
幕が揚がって登場した時の宝生閑先生の素袍姿がほんとうにきれい。

無駄な力がすべて抜けたフワリとした佇まい。

長袴をはいているせいか、いつも以上に雲の上をすべるような浮遊感のある足の運びで、思わずうっとりと見入ってしまった。


閑先生はこのところ超過密スケジュールで、舞台の上でもお顔色が優れず、「倒れるんじゃないか」と冷や冷やしながら祈るような気持で拝見していた。

でも華友会のこの日は調子を戻されたご様子。

閑先生の表現力のおかげで、観能初心者の私でも《砧》の世界にぐんぐん引きこまれていく。


中入後に芦屋の某が正先の砧に向かって妻の霊を呼び出すシーンはとりわけ感動的だった。

「無慚やな三年過ぎぬることを恨み、引き分かれにし爪琴の、つひの別れとなりけるぞや。先立たぬ、悔いの八千度百夜草……」のところで号泣しそうになったのをほろりと涙する程度になんとか押しとどめたけれど、胸にぐっと込み上げてくるものがあった。


現在は通信網も発達していて、好きな人と遠く離れていても常に連絡とり合うことができるし、夫が冷たければ離婚して別の幸せを探すことも比較的容易だから、《砧》の登場人物に共感するのは難しい。


でも、生きていると後悔することはたくさんある。

愛する人を図らずも傷つけ、ましてやその人を死に追いやってしまったら、どれほど後悔しても後悔しきれない。
愛する人を傷つけるのは、自分が傷つけられる以上に辛いことなのだ。

閑先生のシンプルで豊かな台詞回しには、誰もが心の奥底に沈めている悔恨の情を呼び起こす力がある。

「無慚やな」という先生のかすかに震えた声が今も耳に残っている……。


以前、閑先生は《砧》を演じる際、妻の亡霊が橋掛りに来たのが見えるように演じる場合と、実際に前に来るまで見えないように演じる場合とがあるとおっしゃっていたが、この日は、妻の亡霊が一の松に来たあたりでその存在に気づいてそちらに向き直る、という所作をなさっていた。

こういうのは閑先生がその場の雰囲気を読んで、長年の勘で決まるのだろうか。


閑先生のことばかり書いてしまったけれど、お囃子も言葉にできないくらい秀逸で、特に源次郎先生の小鼓の幽かな音色には不純物をすべて取り除いたような透明感のある響きがあり、それが《砧》の物悲しい詩情と溶け合っていた。


そんなわけで、夢見心地のうちにお能は終わり。

終演後も私の頭はまだポワンとしていて、夢遊病のように身体だけが自動操縦モードに入っていた。

気がつけば表参道の地下鉄のホームにいて、そこでハッと気づいた。

《砧》の演能後に柴田先生の景清の仕舞があったのだ!
なんてことだ! なんたることだ!
柴田先生の仕舞、すっごく楽しみにしてたのに!
私はなんて失礼なやつなんだ!!

「先立たぬ悔いの八千度百夜草」とはまさにこのことである。


次回、私が《砧》を見るのは7月のテアトル・ノウ東京公演の予定。
去年、片山幽雪の仕舞《砧》がNHKで放送されて、観世流(特に片山家系)独特のうねりのある哀切を帯びた謡に聞き惚れて以来、何度も録画を再生しているが、そのたびに新しい発見がある。
だから味方玄さんの《砧》、今からほんとうに楽しみ!


能楽セラピー

去年の今頃は職業病に悩まされながら仕事に明け暮れて、心身ともに弱り果てていた。

でも、半年前から定期的に能楽堂に通うようになって心と体の状態が驚くほど改善した。

日本文化全般にいえることだけれど、特に能楽では陰陽五行の思想が至るところ(揚幕の五色や大小鼓など)にちりばめられ、良い「気」を巡らすための完璧なシステムが構築されている。

囃子方が「気」を打ち込み、舞台上に「気」を吹き込んでいく。

地謡が強力な「気」をたっぷり含んだ謡にのせて、プラスの言霊を舞台に送り込む。

シテ方が舞台にみなぎる「気」を美しく流れるように巡らせ、ワキ方がそれをサポートする。

三間四方の二辺を囲む見所が能楽堂に満ちた「気」を感受し、感動の「気」を舞台上に反射していく。

かくして再び「気」が舞台上に集まり、シテ方が精妙な舞を舞いながらその「気」をさらに巡らせ、舞台と見所の相互作用によって唯一無二の、一期一会の舞台が完成されていく。

凄い舞台を見て心が揺さぶられると、陰と陽の「気」が調和して、心身のバランスが整えられるような気がする。

たとえば、負の感情にとらわれた時は大皮が(私には)良いようだ。
特に亀井広忠さんの気迫のこもった演奏には、たちの悪い邪気を吹き飛ばすお祓いのような効果がある。
また、一噌仙幸先生のクリスタルな笛にはその音色と同様、水晶のような浄化作用がある。

日本語が分からない外国の人が能を見て感動するのも、そこに流れるパワフルで清浄な「気」を感じとるからだろう。

だからシテ方の名手は「気」を巡らせる名人でもある。
能楽堂に充満した「気」を巧みに操り、時に激しく、時に静謐な気の流れを刻々と創り上げていく。
私がいちばん好きなのは、舞台上で自らも美しい「気」を放つ能楽師かもしれない。