もうひとつ、六道の辻があるのが六道珍皇寺。
かの有名な小野篁の冥途通いの井戸があるお寺です。
山門の前にたつ「六道の辻」の大きな石碑。
能《熊野》では、熊野は、前記事に掲載した西福寺(地蔵堂)を通ったあと、愛宕念仏寺(現在は元地のみ)を過ぎ、「六道の辻とかや」と、六道の辻に至ります。
熊野のいう「六道の辻とかや」にあたるのが、おそらく、この六道珍皇寺あたりでしょう。
閻魔堂(篁堂)の閻魔王像。
閻魔さまの手前には、亡者の生前の行いが映し出されるという浄瑠璃鏡も置かれ、地獄の閻魔裁きのようすがリアルに再現されています。
こちらは小野篁像。
両脇には、冥官と獄卒。
江戸時代の木彫像ですが、迫力があります。
三体とも、院派の仏師・院達の作である可能性が高いとされています。
そしてこちらが、小野篁の冥途通いの井戸(右)。
井戸だけをアップするとこんな感じ。
以前に、嵯峨釈迦堂「清凉寺」の記事で紹介しましたが、小野篁が冥途通いに使った六道珍皇寺の井戸は、冥途の入り口です。
篁の冥途通いの出口となったのが、嵯峨野にあった福正寺の井戸でした。
それゆえ嵯峨野の井戸のあった場所は、「生(しょう)の六道」といわれたそうです。
つまり、「鳥辺野」(東山)から「化野」(嵯峨野)という二大葬地を、冥界の井戸がつないでいたと昔の人は考えていたのですね。
いにしえの人々の世界観。わたしにはとてもロマンティックに思えます。
あの世が今よりももっと身近で、現世と陸続きになっているような感覚があったように感じるのです。
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