"It could be said that the image of Yugen―― a subtle and profound beauty――is like a swan holding a flower in its bill." Zeami (Kanze Motokiyo)
2018年12月6日木曜日
『鼓に生きる』田中佐太郎
歌舞伎囃子方・田中佐太郎さんの『鼓に生きる』(聞き手・氷川まりこ、淡交社)を最近読んだ。
佐太郎さんは、言わずと知れた亀井忠雄師の奥様にして、三響會三兄弟のお母様でもある。
兄と四人姉妹の三女として生まれた佐太郎さんが、なぜ、人間国宝・十一世田中傳左衛門の後継者となったのか。それにはさまざまないきさつが絡んでいるが、彼女の素直で、忍耐強く(おそらく負けず嫌いで)、きわめてストイックな性格が大きく影響しているのかもしれない。
芸や生き方に対するストイシズムは、「舞台は命がけ」という忠雄師とも共通するし、三人の御子息にも受け継がれている。
受け継がれているといえば、「礼を重んじる心」もそのひとつかもしれない。
伝統芸能に携わる方々の多くがそうだけれども、佐太郎さんもとりわけ礼儀を重んじる方で、一番最初に教え、徹底するのが「挨拶」だという。
この箇所を読んで思い出したのが、亀井広忠さんの礼儀正しさだった。
広忠さんは、わたしのような縁もゆかりもないただの一般観客にも、いつもとても丁寧に挨拶をしてくださる。
広忠さんが座っていらっしゃる時に、わたしがたまたま通りかかり、軽く会釈をして通り過ぎようとした時なども、向こうはわざわざ立ち上がって丁寧なお辞儀を返してくだり、恐縮した覚えがある。
硬派で、礼儀正しい、能楽界の高倉健のような方だと思った。
また、個人的にとてもうれしかったのが、佐太郎さんの能楽太鼓のお師匠様が、わたしが偏愛・敬愛する柿本豊次だったこと。
柿本豊次の太鼓はもちろんCDでしか聴いたことがなく、お姿も画像のぼやけた白黒写真でしか拝見したことがなかったが、本書では佐太郎さんの襲名披露公演で、彼女の太鼓後見についた柿本豊次の姿が鮮明に掲載されている。
(ちなみに、この襲名披露公演で大鼓を勤めたのが亀井忠雄師。つまり、この公演は、お二人の馴れ初めともなった記念すべきものでもあったのだ。その申し合わせの写真には、忠雄師を見つめる佐太郎さんの恋する乙女のような表情が写っていて、この写真を観ただけで、結ばれるべくして結ばれたお二人なのがよくわかる。)
柿本豊次は、家の子ではなく、外から入って人間国宝にまで上り詰めた方だが、御自身が大変苦労されただけに、同じ思いをさせたくないと玄人弟子はとらなかった。
だから残念ながら、豊次の芸系は絶えてしまったのだが、佐太郎さんを通じて、三人の御子息にその片鱗が受け継がれているように思う。
柿本豊次から佐太郎さんへ、そして御子息へと受け継がれたものとは、豊次が言っていた「玄人は舞台を楽しんではいけない」という自制心と、おのれの芸への客観的視線なのかもしれない。
この自制心は、佐太郎さんの家庭生活にも及んでいる。
三男・傳次郎さんによると、
「母は、男四人(夫と三兄弟)が食卓についているあいだ、ずっと料理を作って、運んで、よそって……そうやってわれわれが食べ終わったころ、母がようやく食卓につくのです。(中略)母は自分の好きなものを作ったことは、たぶん一度もないんじゃないでしょうか。たまの外食のときでも、店選びは父に任せていますし。なにを食べたいとか、ここに行きたいとか、そういう母の自己主張や好き嫌いを、私は一度も聞いたことがないですね」という。
凄い! の一言である。
常人には到底まねできないが、並みの女では太刀打ちできないようなこういう女性でないと、亀井忠雄師の奥様は勤まらないだろうし、三人の御子息を、ただの玄人ではなく、プロとして「”超”がつく一級品」に育て上げることもできなかったにちがいない。
「(指導者が)手をあげること」について、佐太郎さんは現代社会の風潮に一石を投じる言葉を述べられている。
「あえて誤解を恐れずに言えば、怒りの感情に任せて叩くのはいけないけれど、手をあげて叱らなければならないときがあるのです。」
「それぐらい真剣にやっているんだという覚悟を伝えるために、必要なときがあるのです。」
伝統の継承のなかで、師が弟子に真剣勝負でぶつかっていかなければ、伝わらないことがあるのかもしれない。
「暴力行為とはどんな理由であれ、決して許されるべきではない」とよく言われるが、ほんとうにそうだろうか。
「天下一品の教育者」といわれる佐太郎さんの言葉には含蓄があり、いろいろ考えさせられた。
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