天河大弁財天社・秋季大祭からのつづき
深山幽谷の清浄な空気に包まれた天河神社の舞殿 |
神事能《葵上・梓之出》シテ六条御息所の霊 片山九郎右衛門
ツレ照日の巫女 河村浩太郎 アイ左大臣家の男 泉愼也
ワキ横川小聖車僧 原大 ワキツレ朝臣 原陸
杉信太朗 林大和 河村大 前川光範
後見 青木道喜 橋本光史(地謡と兼業)
地謡 味方玄 橋本光史 分林道治
梅田嘉宏 宮本茂樹 河村和貴
拝殿と五十鈴 |
拝殿の奥には、毘沙門天・大黒天および弁天十五童子とともに、弁財天像が安置されている(神社とはいえ、祀られているのは仏教の天部像。神仏習合時代の信仰がそのまま息づいている)。
「御開帳物」であるこの弁財天像は、とぐろを巻く蛇身の宇賀神を頭上に戴き、その上から鳥居形の宝冠を被っている。弁財天を龍神(龍女蛇体)の現れとする修験道の信仰にも通じる造形だ。
ちなみに、長谷寺能満院に伝わる天河曼荼羅には、三つの蛇の頭をもつ龍頭人身という異様な図像として天河弁財天(宇賀神)が描かれている。
拝殿に灯されたヴェネチアングラスのランプ「一千年の灯」 |
【前場】
前置きが長くなったが、この日の《葵上》はこれまで観たどの神事能よりも、その構成や演出に「神々の存在」「神々への意識」が強く感じられた。
照日の巫女が梓弓を鳴らして「天清浄地清浄」と謡うところも、脇座で謡うのではなく、正中で下居し、正先に置かれた「出し小袖」に向って合掌しながら口寄せをする。
つまり、巫女の口寄せの型が、そのまま拝殿に鎮座する弁財天への合掌(拝礼)にもつながるという、二重の意味をもつ演出になっていた。
梓弓に引かれて現れたシテは、シオリの型のまま橋掛りを進んでくる。
実際、これほどシオリの型で埋め尽くされた《葵上》を観るのは初めてだと思えるくらい、この日の六条御息所の生霊はよく泣いた。
一の松で立ち止まってはシオリ、欄干にもたれてはシオリ、若き日の栄耀栄華を回顧してはシオル。
身も世もなく泣き崩れた、悲しみの化身。それがこの日の御息所だった。
面は泥眼かもしれないけれど、わたしには増に見えた。
近寄りがたいほど冷たく、美しい増に。
天河社の舞台は背後に鏡板がなく、壁のない吹き抜けになっているため、シテの動きの角度によって、能面の眼の穴から外光がチラチラと射しこみ、女面がぞっとするほど虚ろな表情を見せる。
そのことが、御息所の身体からひとりでに抜け出た生霊らしさを、よりいっそう強めていた。
救いを求めるように泣いていたシテは、「いまは打たでは叶ひ候ふまじ」から一転、急に強い調子になり、前に進んで、小袖をひとつだけ打つ。
しかしこのときでさえ、葵上への憎しみはあまり感じなかった。
感じたのは、泰然と生きられず、自分の感情に翻弄される我が身への苛立ちだった。
(そう思うのは、見る側の性格を投影しているだけなのかもしれないけれど。)
九郎右衛門さん演じる六条御息所の生霊の打擲は、他者にではなく、わが身に、わが心に向けられているように思えた。
それにしても、前シテが退場する際の、壺折にした唐織をサッと脱いで頭に被くところ、なんてなめらかで流麗な動きなのだろう!
【後場】
後シテの般若の面は、通常の《葵上》で使われる上品な般若よりも「蛇」的要素が強いように見えた。蛇神たる弁財天へのオマージュかもしれない。
横川小聖とのバトルでは、打杖を振る所作に気品と奥ゆかしさが感じられ、小聖に祈り伏せられるにつれ、般若の面の表情が和らいでいく。
祈りのことば、読経の声に心が和らいだシテは成仏得脱の身となり、常座で合掌留。
(拝殿に鎮座する弁財天への)ツレの合掌で始まり、シテの合掌で終わる。
「祈り」と「救済」を前面に押し出した《葵上》の演能が、そのまま天河弁財天の神徳への賛美にもなっていた。
こうして演者たちは、神々に愛されてゆくのだと思った。
神々に祝福され、愛されて、芸位を高め、それをまた神々に返してゆく。
プラスの連鎖が働いて、社の森の「気」がさらに清められ、ここに集う人々をも祓い浄めてゆく。
そのおかげだろうか、風邪を引きかけていたが、山を下りたころにはすっかり回復していた。
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