2018年11月21日水曜日

能《融・遊曲・思立ノ出・金剛返》~曽和博朗三回忌追善会

2018年11月17日(土)11時~19時45分 金剛能楽堂

能《融・遊曲・思立ノ出・金剛返》シテ 金剛永謹
   ワキ 小林努 アイ 茂山千作
   杉市和 社中の方 谷口正壽 前川光長
   後見 宇髙通成 向井弘記 惣明貞助
   地謡 種田道一 松野恭憲 金剛龍謹 種田和雄
      谷口雅彦 今井克紀 重本昌也 田中敏文




よく考えたら、金剛流お家元の能を拝見するのは初めて。
京都では金剛流を拝見する機会も増えるだろうと思っていたけれども、金剛定期能は京都観世会例会と日程がかぶるため、なかなか拝見できずにいる。
(来年2月の宇髙竜成さんの《箙》を観たかったけど、この日も味方玄さんの《弱法師》とみごとに重なっている。)

能《融》で小鼓を打つのは、表千家・長生庵の若宗匠。
ロビーには御茶席が設けられ、お菓子は嵯峨菊をイメージしたとらやの「小倉野」のほか、能《融》にちなんで塩釜から取り寄せた干菓子「しおがま」が用意されていた。
藻汐と紫蘇の爽やかな香りを楽しみながら《融》の世界に思いをはせるという、なんとも風雅な趣向。お能の前に、素敵なお庭を眺めながら一服いただくなんて……京都はいろんな面で凄いなあと思う。


さて、小書のたくさんついた《融》。
金剛流で観るのも観るのもはじめてなので、以下は気づいたことのメモです。

【前場】
小書「思立之出」はワキ方関係の小書なので、内容は観世流と同じ。
いきなり下歌の「思ひ立つ心ぞしるべ雲を分け」と謡いながら登場し、「千里も同じ一足に」と一の松まで至ったあと、「これは東国方より出でたる僧にて候」と名乗りになる。

また「金剛返」は、金剛流に特有の小書ではなく、ワキ方高安流と囃子方関連の小書で、高橋葉子氏の『「金剛返」考』によると、道行「夕べを重ね朝ごとの」のあとの〈打切)が、〈刻返〉という短い手に代わり、返シは「朝ごとの」だけになるという。つまり、囃子の手も謡の返シも短くなり、ノリを崩さずして全体のリズムを変化させるのが、「金剛返」だそうだ。
どうやら「金剛返」は、ちょっとしたところに変化を持たせる好みの小書のようだ。


「げにや眺むれば、月のみ満てる塩釜の」で流れる杉市和さんの笛の音が、千賀の塩釜を再現した庭園の寂しく荒れ果てた景色を描いていて、心に痛いほど沁みてくる。
お囃子は京都の最強メンバーで、社中の方も玄人はだし。
いいなあ、としみじみ聴き惚れながら、《融》の世界に浸っていた。

金剛流の地謡は微動だにせずじっと座っているのが、観ていて気持ちいい。
さすがに後場になると年配の方は辛そうだったが、座る姿勢は地謡の手本のよう。


【後場】
後場の演出は、どこまでが小書「遊曲」の演出で、どこからが金剛流オリジナルの型なのか分からないけれど、とにかくかなり凝っていた。
(以下、覚束ない記憶なので、誤りは多々あると思います。)

装束の一部も、通常の《融》のものとは違っていて、狩衣・指貫は同じだけれど、初冠ではなく風折烏帽子を被り、烏帽子には金色の木の実と葉っぱのようなものがついている(目を凝らしてみたが、なにが付いているのか分からなかった)。

「あら面白や曲水の盃」「浮けたり浮けたり遊舞の袖」で、囃子が総ナガシになり、一の松にいたシテは、扇で酒を汲む所作をし、そのままナガシで幕際まで後退、三の松でしばし佇む。

再び囃子が入り、シテは橋掛りをゆっくり前進→常座へ至る。
囃子が特殊な手を打ち →シテは常座から角へ →角で両袖を巻いたまましばし留まる。やがて脇座前へ至り→総ナガシで大小前へ至って、達拝→盤渉早舞へ。

こういう舞台上の移動のしかたが、2年前に東京能楽囃子科協議会で観た喜多流の《融・笏之舞》(シテ友枝昭世、太鼓・観世元伯)を彷彿とさせる。

《融》は追善の会でよく上演されるから、いろいろ思い出す。
金春國和師を偲ぶ「旧雨の会」での「思立之出・舞返」とか。
月の世界に還ってゆく融の姿は、懐かしい人の面影とも重なる。


良い会でした。
ありがとうございます。





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