京都ではふつうに歩いているだけでも、あちこちに面白い発見があります。
寺町通り、行きつけの一保堂の斜め向かい、古梅園の軒先に「此付近藤原定家京極邸址」の石碑がひっそりとたっています。
定家の京極邸は、平安京左京二条四坊十三町にあったと伝えられていますが、このあたりだったのですね。京極邸に住んでいたため、定家は京極中納言と称されました。
藤原定家が小倉百人一首を編んだ時雨亭は、能《定家》でもおなじみですが、その時雨亭跡とされる場所が、小倉山中腹の嵯峨野に3ケ所あります。
そのひとつが、常寂光寺。
先日の嵯峨大念佛狂言終了後に立ち寄ったのですが、すでに閉まっていて、なかには入れず。。。。
↑の案内板のように、常寂光寺の境内には、時雨亭跡の碑があるようです。
時雨亭跡があるとされる2つ目の場所が、二尊院。
(なんか、八ツ橋論争みたいですね。)
ここも閉まっていて中へは入れなかったのですが、こんなふうに時雨亭跡の碑が立っているそうです。
時雨亭跡がある3つ目のお寺が、厭離庵。
こちらは尼寺で、一般拝観は受け付けていないそうですが、名前からして厭世的で、能《定家》の舞台となった時雨亭跡がある場所としてはぴったり。
(写真は撮らなかったので、掲載した画像はただの嵯峨野の風景です。)
こちらは向井去来の草庵・落柿舎。
なんとなく、わたしが抱く時雨亭のイメージはこんな感じです。
定家はどんな庵を営んだのでしょうか。
《定家》の舞台が観たくなってきました。
好きな役者さんの演能が来年あたりにあるといいけれど。
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