2016年10月23日日曜日

橘香会~万三郎の《朝長》後場

2016年10月22日(土) 12時30分~17時10分  国立能楽堂
橘香会~《朝長》前場からのつづき

能《朝長》青墓ノ長者/大夫ノ進朝長 梅若万三郎
 ツレ侍女 長谷川晴彦 トモ従者 青木健一
 ワキ旅僧 殿田謙吉 ワキツレ則久英志 御厨誠吾
 アイ青墓長者ノ下人 野村萬斎
 栗林祐輔 幸正昭 亀井広忠 小寺真佐人
 後見 加藤眞悟 梅若雅一
 地謡 伊藤嘉章 西村高夫 八田達弥 青木一郎
    泉雅一郎 遠田修 永島充 梅若泰志

狂言《川上》シテ座頭 野村万作 アド妻 高野和憲

能《藤戸》漁師の母/漁師 古室知也
 ワキ佐々木盛綱 福王和幸 ワキツレ村瀬慧 矢野昌平
 アイ盛綱ノ下人 石田幸雄
 成田寛人 鳥山直也 柿原光博
 後見 梅若万佐晴 中村裕
 地謡 青木一郎 加藤眞悟 八田達弥 長谷川晴彦
    遠田修 梅若雅一 梅若久紀 根岸晃一



【後場】
〈後シテ登場〉
出端の囃子であらわれた後シテの出立は、左折梨打烏帽子、白地紋大口、紅白段替厚板、縹色の単衣法被(片脱ギ)には露草があしらわれている。

面は十六。
純真さ、清らかさを形にすればこんなふうになるのかと思えるような類まれな美少年の面。
あまりにも清らかすぎて、神々しさすら感じさせる。


万三郎の崇高な貴公子の姿を観た時、青墓の長者がなぜ生前にほんの少し接しただけの朝長をあれほどまでに憐れみ、弔い続けたのかがわかった気がした。


人間の卑劣さ、俗悪さ、荒々しさを嫌というほど観てきた長者(遊君)の目には、乱世では生きる術のない弱く儚い美少年・朝長が純粋さの象徴のように思われ、その死後に彼女の中でさらに美化され、ある意味、俗塵にまみれない存在として信仰の対象のようになっていたのかもしれない。

そんなふうに、出の姿だけで観る者の想像力をかき立て、物語に説得力を与えたのが万三郎の後シテだった。


〈クセ〉
前場の鬘桶に掛かっての語リと同様、床几に掛かる姿の美しさ。

同じ静止の姿であっても、前シテの年を重ねた青墓の長者から漂うムスクのような濃艶な香りとは異なり、後シテの朝長の亡霊から立ち昇るのは微かなシトラスの香り。
装束を通して、少年のみずみずしさ、やわらかさのようなものが伝わってくる。


舞の究極の形であるこの静止の姿。
万三郎の居グセ(床几クセ)は屈折率の高い宝石のように、無心にそこに存在し、観る者の視線を反射してさまざまな光を放っていた。



〈キリ〉
「膝の口をのぶかに射させて馬の太腹に射つけらるれば」で、扇を持った左手に袖を巻き上げ、扇を膝に軽く突き立て、
「馬はしきりに跳ねあがれば」で、馬が跳ねるように足拍子二つ、
「鐙をこして下り立たんとすれども」で、ほとんど立ちあがるように膝を浮かせて足を出し、
「一足もひかれざりしを」で、いったん床几にかかったのち、
「乗替にかきのせられて」で、床几から立ち上がり、
「(雑兵の手にかからんよりはと)思い定めて腹一文字にかき切って」で、脇正にて安座ではなく、下居して扇で切腹する型をする。

ここまで、朝長の最期を見事に表現しつつも、けっして芝居にはならない、純度の高い抽象的な型の連続による描写に終始していた。

じめじめしたところや悲壮感のまったくない、ひたすら儚く、美しい朝長。

こういうところがわたしが感じる万三郎の最大の魅力であり、
内実には途方もない精神力・集中力・身体能力・芸の技と力が働いているはずなのに、外から見えるのは、ゆとりと余裕、超然とした芸の「花」だけ。


俗塵にまみれない朝長のイメージは、そのまま万三郎の舞姿そのものだった。


おそらく、こういうタイプのシテ方があらわれることはもうないのかもしれない。

この先、万三郎の名を嗣ぐにふさわしい人があらわれることもないのかもしれない。

何もかもが儚く、美しい《朝長》だった。









橘香会~狂言《川上》・能《藤戸》につづく


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