2017年7月8日(土)13時~15時40分 31℃ 国立能楽堂
解説:音阿弥、天下無双のマエストロ 松岡心平
狂言《入間川》シテ大名 茂山千五郎
アド太郎冠者 茂山茂
アド入間の何某 丸石やすし→茂山七五三
能《二人静》シテ菜摘女 梅若万三郎
ツレ静の霊 梅若紀彰
ワキ勝手宮神主 福王和幸 アイ神主の従者 茂山逸平
松田弘之 幸清次郎 亀井広忠
後見 加藤眞悟 松山隆之
地謡 伊藤嘉章 馬野正基 青木一郎 八田達弥
長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也 青木健一
今月は観能運が急上昇。この日も素晴らしい舞台でした!
まずは、解説。
自分の感想などをまじえて内容をざっくり書くと、
今月は、観阿弥・世阿弥につづいて三世観世大夫となった音阿弥(観世三郎元重)の没後550年特集(それぞれ阿弥号に、「観」「世」「音」の一字を戴いている)。
現在の観世宗家の系譜には元雅は含まれず、現宗家で26代。
「三郎」の通称は、観世大夫を継ぐ者がつける名で、それゆえ現宗家嫡男も「三郎太」と名づけられたとのこと(なるほどー、そうだったんだ)。
この日の演目は、音阿弥の嫡男・又三郎正盛が観世大夫として公認されたそのお披露目を兼ねて寛正5年(1464年)に糺河原勧進猿楽で上演された狂言《入間川》と能《二人静》にちなんで選曲されたという。
音阿弥は応仁の乱が始まった1467年に70歳で没したので、糺河原の勧進能で舞った《二人静》は、音阿弥最晩年の演能。
おそらくそういうことも鑑みて、今回のシテに万三郎さんが選ばれ、またふつうの相舞ではない、特殊演出(ただし小書はつかない)になったのかも(私見です)。
また、これもわたしの勝手な想像だけれど、世阿弥が演能以外にも作曲や伝書を執筆したマルチプレーヤーだったのにたいし、(知られている限りは)作曲をほとんどせず演能に徹した音阿弥は、もしかすると舞歌にかけては世阿弥よりも華麗で洗練され、大和猿楽の泥臭さや田舎臭さから完全に脱却していたのではないだろうか。
だからこそ、「天下無双、希代の上手」と讃えられ、審美眼・美的感覚に優れた足利義教・義政から厚い庇護を受けたのだろう。
そして、実際には世阿弥ではなく、音阿弥の芸風が、現観世流のスタイルの源流となっていったのかもしれない。
狂言《入間川》
千五郎・茂兄弟の組み合わせはけっこう好き。
短気で猪突猛進型の大名と、それに付き合わされつつ、一歩引いて、うまくかわしていく太郎冠者の役はこの二人にぴったり。
こういう大名のようなタイプの人(悪い人じゃないけど、一緒にいると疲れる。でも立場上、一緒にいなくちゃいけない人)っていつの世にもいるから、太郎冠者の、距離感をとりつつ、適度に相手に合わせるという処世術は見習いたいものです。
「ここは(川底が)深いので川上に行け」という入間の何某のことばを、入間様(逆さ言葉)と勘違いして、ずんずん川を渡り、深みにはまって危うく流されそうになる大名の慌て方、必死さ、ずぶ濡れ感が面白い(なんか、めっちゃ笑えて、爆笑)。
こういうところが、吉本喜劇っぽい分かりやすい面白さで、東京の山本東次郎家からすれば……なんだろうけれど、わたしは好きだな。
おそらく狂言界一の大所帯である茂山家には、和気あいあいとした明るい連帯感のようなものがあって、それが舞台に良い気となってあらわれてくる。
やっぱり、身内どうしは仲良くしないとね。
《二人静》前半につづく
0 件のコメント:
コメントを投稿