2017年7月22日(土)14時~17時40分 32℃ 宝生能楽堂
《三笑》《舟渡聟》からのつづき
能《巴・替装束》里の女/巴御前の霊 味方玄
旅僧 宝生欣哉 従僧 則久英志 梅村昌功
アイ粟津ノ里人 高野和憲
一噌隆之 大倉源次郎 亀井忠雄
後見 清水寛二 味方團
地謡 片山九郎右衛門 河村晴道 分林道治 谷本健吾
川口晃平 鵜沢光 観世淳夫 武田崇史
二年前の九郎右衛門さんによる《巴・替装束》は、巴のしっとりした女らしさ・健気さ、ひとり落ちのびてゆく際の去りがたさが印象深く、最後に橋掛りを去ってゆくシテの後ろ姿には、愛する人を失った後にその志を継いで生きてゆくことの重みが感じられ、忘れがたい舞台だった。
あのときは味方玄さんが主後見を勤められ、上演前には長刀扱いのデモンストレーションをされたのだった。
(本公演のプレビューのようなものだったのかも?)
今回のテアトル・ノウ《巴・替装束》は、シテの緻密な芸もさることながら、地謡・囃子の表現力も素晴らしく、三者の凄まじいほどの気の圧力が舞台に充満した三つ巴の《巴》でした。
【前場】
前日に人間国宝認定が発表された大倉源次郎さんと亀井忠雄師のスーパーコンビによる次第の囃子。
拙ブログに何度も書いているけれど、源次郎師のチ・タ音はじつに繊細で美しく、魂の奥底に深く響いてくる。
こういう絶頂期にいる方が人間国宝になるのは、能の普及にとっても意義のあることだと思う。
木曽から来た旅僧一行が粟津の原に到着。
この日はワキツレ則久さんの謡が冴えていた。
そこへ、前シテの里女がアシライで登場。
(幕が上がったような感じはなく、気がついたら三の松あたりに出現していた。)
前シテは首から木綿襷を掛け、白練壺折にグレーの縫箔という出立。
手には白い数珠。
巫女的というより、ほとんど巫女そのもの。
粟津ケ原の神・義仲を祭祀する巫女のイメージなんですね。
面は前・後シテともにあでやかさ、妖艶さが際立つ女面。
とくに後シテでは男装の麗人としての側面が強調されていた。
「さるほどに暮れてゆく日も山の端に入相の鐘の音の」で、シテは脇正を向き、懐かしくも悲しい記憶をたどるように、西の空を見上げて、鐘の音を聞く。
面の表情も過去を愛おしむような寂寥感をにじませる。
夕暮れとともに、送り笛が流れるなか、シテは中入。
【後場】
一声の囃子で勇ましく現れた巴御前の霊。
後シテは、紅入唐織壺入、クリーム色の紋大口に白鉢巻、梨打烏帽子というスタンダードな出立。
床几にかかって仕方話をする型どころでは、「薄氷の深田に駆け込み」で左右強く足拍子、「手綱にすがって」で両手ですがりつき、「鞭を打てども」で、右手扇で馬の尻を打ち、「前後を忘じて控へ給へり」で腰を大きく浮かせ、「こはいかに浅ましや」でシオルという、味方玄さんらしいキレのある迫真の描写力。
これに、九郎右衛門さん率いる地謡とスーパー大小鼓コンビの囃子が絶妙に絡んで、非常にドラマティックな場面が展開し、観客を強く惹きつけた。
実際にこの日の地謡は秀逸で、正中で無言で端座するシテ巴御前の気持ちを、心の襞まで丁寧に余すことなく表現するように節の緩急・高・低音を自在に駆使し、一句一句に「気」と「心」と「情熱」が籠っていて、地謡の醍醐味を再認識させられた。
巴が敵の軍勢と一戦を交える場面でも、巴が敵をなぎ倒していくときは大波が押し寄せるような大迫力の地謡、巴が敵を追い払い「みな一方に斬りたてられて跡もはるかに見え座ざりけり……」では、敵方が退却して誰もいなくなる様子を、波がサーッと引くようなデクレッシェンドの謡で表現。
地謡の鮮やかさと、橋掛りで敵を見送るシテの動きとがマッチして見事だった。
クライマックスの「替装束」の場面。
ここも、二年前の九郎右衛門さんの「替装束」の手順とほぼ同じで、脇正で下居して扇を置き、太刀を置き、梨打烏帽子をとり、唐織を脱いで白装束となり、太刀を取って抱きしめ、立ち上がり、橋掛りへ向かう途中、後見に太刀を渡して、代わりに笠を受け取り、橋掛りを落ちのびてゆく。
ここから少し違っていて(巴の性格描写の違いがあらわれていて興味深かった)、
九郎右衛門さんの時は、「巴はただひとり落ちゆき」で(正先にある義仲の亡骸のほうを)振り返って少し戻り、「うしろめたさの執心を弔ひてたび給へ」でもう一度振り返った。
(記憶違いでなければ)味方玄さんが振り返ったのはただ一度。
彼女は歩き巫女となって、義仲の物語を語り継いでゆくのだろうか。
そんな、巴御前のその後を予感させる終幕だった。
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