2018年7月29日(日) 京都観世会館
片山定期能七月公演からのつづき
仕舞《玉之段》 片山九郎右衛門
地謡 橘保向 古橋正邦 味方玄 清沢一政
九郎右衛門さんの仕舞は、なにかもう、別格すぎて、次元が違っていた。
《玉之段》はそれでなくても写実的な演出だけれど、この日の舞では、シテの動きと地謡の詞・節・流れとが見事に溶け合い、その一挙手一投足、顔の角度のわずかな変化から景色があざやかに立ち現れ、物語がスピード感をともなって立体的に浮かび上がる。
その描写力はほとんど魔法のよう。
魔法使いが杖を振るように、シテの動きに合わせて、映像が次々とおもしろいように見えてくる。
まばたきするのも、息をするのも惜しいくらい、片時も目が離せない。
「そのとき人々力を添え……ひとつの利剣を抜き持って」と、シテは肚の奥底から声を響かせ、決然と立ち上がり、死を賭して勢いよく海に飛びこんだ。
舞台の空気が逆巻くようにざわめき、身を躍らせて飛び込む女の姿、跳ねあがる水しぶきの弾むさままで感じとれる。
……あたりは一転、海の底。
舞台の空気もがらりと変わり、密度の高い水の抵抗を感じさせるシテの所作。
子を思う母の気迫、凄まじい執念が、シテの全身にみなぎり、鰐・悪魚ももろともせず、無我夢中で珠をめざす女の一念が胸に迫ってくる。
臨場感あふれる壮絶なチェイス劇の果てに、シテは乳の下を掻き切るのだが、
ここの箇所、胸をグサッとえぐるように剣を突き刺す場合が多いなか、九郎右衛門さんはじつにさりげなく、ほとんど涼しい顔をして、すーっと真一文字に胸の下を扇で斬った。
何の迷いも、力みもない、清々しいほどの潔さ。
こういうところが、九郎右衛門さんの美学だと思う。
気迫で、押して、押して、押していって、最後に、スッと後ろに引く。
やりすぎない、ハズシの美学。
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