2018年8月10日金曜日

田中一村展 ~佐川美術館

会期:2018年7月14日~9月17日  佐川美術館

琵琶湖の畔、水に浮かぶように建つ佐川美術館

どうしても観ておきたかった《アダンの海辺》の展示が19日までと聞き、お盆前に佐川美術館を訪れた。
アート番組の影響で比較的混雑していたものの、都会の美術館よりはゆったりしていて、ここ数年で最も感動した一村の絵と、心ゆくまで向き合うことができた。


水庭に青空と雲が映りこみ、さざ波が立って抽象絵画のよう

会場では、神童と謳われた幼少期から、画風を模索した千葉時代、画壇と決別した壮年期、そして、新境地を開いた奄美時代の作品が展示されていた。

千葉時代や壮年期にも、秋の野草を味わい深い色彩で描いた《秋色》、ヤマボウシとトラツグミを琳派風の絵画に仕上げた《白い花》、同じく装飾性の高い花鳥画《忍冬に尾長》など、心惹かれる絵が少なくなかったが、やはり奄美時代の作品には目を見張る。

没骨法やたらし込み、彫塗りなどの技法、並外れた描写力・構成力・色彩感覚といった、それまで磨き上げてきたものすべてを自在に駆使して描かれた奄美時代の作品には、写実性と装飾性が見事に融合され、彼が「田中一村」として、もはや誰にも真似のできない、まったく独自の絵画境地に到達したことが一目でわかる。


その集大成といえるのが、晩年の代表作《アダンの海辺》(1969年)、パイナップルのような集合果を実らせた亜熱帯植物アダンの木を前景に、奄美大島有屋の静かな海辺を描いた作品だ。

この絵について一村は、「この絵の主要目的は乱立する夕雲と、海浜の白黒の砂礫であって、これは成功したと信じております」と書いているが、そのことば通り、まるで溶岩砂のようなギザギザゴツゴツとした砂礫が、恐ろしいほどの緻密さで描かれている。
砂礫を描いた岩絵具にはトルマリンが使われているともいわれ、あたかもガラス質の石英が砂地に混ざっているかのように、こちらが姿勢を変えるごとに、キラキラと美しく輝いて見える。

さらに、浜辺に打ち寄せる波の描写が、気の遠くなるほど細かい。小さなさざ波の一本一本まで写真のように精密に描かれており、この絵をしゃがんで鑑賞すると、まるで自分が絵の中に入り込み、浜辺のアダンの木の下に腰を下ろして、海風を肌に感じ、潮の香りに包まれながら、遠い彼方の水平線を眺めているような気持になる。

このとき、こちらの目線は、この絵を描いた田中一村と同じ目線の高さとなる。

つまり、この絵をしゃがんで鑑賞すると、一村が目にした奄美の海辺、いや、一村の脳内に描かれた彼自身の心象風景を、一村の脳の内側から、一村の眼を通して観ているような感覚に陥るのだ。


一村の眼を通して、一村と一体となってこの絵を観るとき、彼の言う「乱立する夕雲」の下から夕日に輝く西の空がのぞいて、こちらを優しく、穏やかに照らしているのが感じとれる。
おそらく、西方浄土の光とは、こういうものかもしれない。
この絵を観ていると、遠い彼方の光り輝く世界に迎え入れられていくような、静かで落ち着いた心になれる。


これほどの絵を描き、才能に恵まれながら、無名のままこの世を去った田中一村。
彼はこの絵を「閻魔大王への土産」と称し、「これが私の絵の最終かと思われますが、悔いはありません」と述べているが、まさしく彼は画壇に迎合することなく、みずからの画業に邁進し、世に認められることがなくとも悔いのない人生を送ったのだろう。

高価な岩絵具を購入するために、一杯のお茶を飲むことすら我慢して、清貧という言葉にふさわしい暮らしを営んだ一村。

そういう彼の境地にほんの少し触れた気がして、どこかせつないような、奇妙な幸福感に満たされた。

人生に行き詰ったとき、一村の絵と彼の生き方を思い出して、心の支えにしたい。



田中一村展のあと、平山郁夫展や楽吉右衛門館、そして茶室などを観てまわった。
葦とヒメガマが植栽された水庭に浮かぶ茶室

樂吉左衛門が創案した茶室。
「水面と同じ高さに座す」というコンセプトから、茶室は水の中に浮かぶ広間と、水没する小間から成っている。


葦原の間から見えるのが、広間「俯仰軒」


水没した天窓から光が射しこむ樂吉左衛門館

水越しに空が眺められる


水庭からのぞいた天窓の上



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