「祇園祭・お迎え提灯」からのつづきです。
日も暮れかけた19時ころ、2本の大松明(長さ5m)を担いだ男衆が、八坂神社から出発します。
これは、神輿洗いのために神輿の通る道を松明の炎で清める「道調べの儀」。
祇園祭の中でも、男気や勇壮さが際立つ神事です。
一力茶屋の横を練り歩く男衆。
松明の火は、大晦日に焚かれた「おけら火」を絶やさず灯しつづけた神火から移されたものだそうです。
燃えさかる大松明はそうとう熱くて重いはずですが、「神々に仕える身」として真摯でひたむきな気持ちで担いでいらっしゃるのがこちらにも伝わってきます。
こういうニッポン男児の姿って、普段はあまり目にする機会がないので、たまに見るといいものです。
大松明から燃え殻が落ちているのが分かりますでしょうか。
この炭は魔除け・厄除けになるそうで、氏子さんのなかには割り箸で拾って持ち帰る方々もいらっしゃいました。
道を祓い清める大松明が四条大橋から往復して戻ってくると、八坂神社の南楼門から一基の神輿が出発します。
神輿洗では、三基の神輿のうち、主祭神・素戔嗚尊の神霊を乗せる中御座神輿だけが代表で四条大橋に向かいます。
法被を着ていて画像では見えにくいのですが、担ぎ手さんたちの背中には、ソフトボールからハンドボール大の巨大な「担ぎ瘤」ができていて、ビックリ!
四条大橋から戻ってきた御神輿 |
神輿が四条大橋に着くと、榊で神用水が降りかけられ、洗い清められます。
このとき、身体に水がかかると一年間無常息災で過ごせるとされ、担ぎ手や氏子さんたちがこぞって浴びていらっしゃいました。
(わたしは人混みで移動できず、八坂神社付近で待っていたので神輿洗の現場は見ていませんが、翌日の京都新聞ニュースで放送されていました。)
八坂神社の石段下まで戻ってくると、担ぎ手たちは「ホイット! ホイット!」という掛け声とともに、神輿を高く上げる「差し上げ」を披露。
また、神輿を激しく揺らして、鐶という環状の金具を鳴らす「鐶鳴らし」を行うなど、祭は最高潮に盛り上がります。
神輿が、本来の正門である南楼門から八坂神社に入って行くと、舞台は境内に。
夜の境内は、灯籠が点って良い雰囲気。
拝殿では、櫛稲田姫と八王子(8人の王子)が乗る東御座と西御座、そして東若御座が待機しています。
黒塗りの中御座とは違って、こちらは女性らしい優雅な佇まい。
中御座神輿が拝殿の中央に安置されたのち、拝殿前では鷺踊などが奉納され、三基の神輿には飾り具が取り付けられていきます。
【追記】
篠笛玲月流家元で、在野の祭礼研究者でもある森田玲さんの名著『日本の祭と神賑』(創元社)に示唆に富む記述があります。
それによると、祇園祭の神輿洗(特に還幸祭の神輿洗)は、かつて疫神としての性格が強かった牛頭天王(素戔嗚尊)の神霊を鎮めて送った、御霊会の名残ではないかというのです。
神輿を洗うのに、松明の炎で道を清めたり、大勢で舞奉納や行進をして迎え提灯を炊いたりするなど、なぜこれほどまでに入念な手続きが必要なのか不思議に思ったのですが、森田玲さんの説はまことに納得のいくものです。
また、お迎え提灯についても、「現在では神輿洗の神輿を迎えるため、と解されているようであるが、本来的には、祭全体の中でのカミ迎えの意味があったと考えられる」とあり、この考察もなるほどと首肯できるものでした。
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