《巻絹》前半からのつづき
能《巻絹》シテ巫女 豊嶋三千春
ツレ都の男 豊嶋幸洋ワキ臣下 野口能弘 アイ従者 三宅右矩
一噌隆之 幸正昭 谷口正壽 観世元伯→徳田宗久
後見 松野恭憲 豊嶋晃嗣
地謡 宇高通成 金剛龍謹 宇高竜成 坂本立津朗
元吉正巳 田中敏文 宇高徳成 遠藤勝實
【シテの登場】
と、そのとき、幕のなかからシテの呼び掛ける声。
「のうのう」の声の抑揚と、シテの出がいわくありげで謎めいていて、
「これは良い舞台になるかも!」と、好感触。
シテの出立は、白水衣に緋大口、前折烏帽子、
首から木綿襷を掛け、懐に扇を差し、右手に幣を持っている。
面は、一目でそれとわかる十寸髪。
眉間に深くハの字型のシワが寄り、額と口元に二つずつ窪みがある、
ヒステリックで熱情的な表情をした美女の面だ。
前記事で述べたように、巫女は、縛られている男を見て、
この男は昨日音無天神で歌を詠んで、わたしに手向けた者だから、
縄を解くように言う。
この時すでに巫女は神の意志で登場し、しゃべっているのだが、
まだ完全に乗り移っているわけではなく、
神に遠隔操作されているような感じで、それほど狂乱していない。
*ツレは縄を解かれたあと切戸口から引くことが多いが、
この日の舞台では最後まで地謡前で下居していた。
【クリ・サシ・クセ】
男が縄を解かれた後、クリ・サシ・クセでシテが大小前で床几にかかるあいだ、
神仏両道の故事・古歌にちなんだ和歌の徳が地謡によって謡われ、
「婆羅門僧正は行基菩薩の御手を取り」で、
シテは幣を左手に持ったまま右手で扇を広げ、床几から立ち上がり、
「霊山の釈迦の御もと(まみへ)に契りて真如朽ちせず遭ひ見つ(るかな)」の
行基の歌から舞グセとなる。
【ノット】
さらに、「謹上再拝」からノットの囃子になり、シテは扇を懐に挿し、下居して幣を振り、
「そもそも当山は」から、エジプトの図像のように両腕を胸の前で交差させて幣を抱き、
「密厳浄土有難や」で、太鼓が入り、神楽に入っていく。
【五段神楽】
前述のように序無し神楽。
「ラァラァヒャーイツ ヒャールラーラ」から始まるカカリの笛は、
吉野・大峯から熊野三山へ続く峻厳・雄大な連峰を思わせる。
カカリではシテは、角→脇座前→大小前と、
ほとんど静止しているようなゆっくり厳かな足取りで進み、
三隅を清めるように立ちどまって、足拍子を一つずつ踏んでいく。
神が降臨する場を、巫女が清めている。
シテの舞は神聖で美しく、厳粛な神事を目の前にしているよう。
しかし、途中で囃子・シテともにピンと張った緊張感が途切れて、
場の気が少し乱れたように感じた。
段を追うごとに徐々にアップテンポになっていくのも、シテの年齢を考慮してか、
アップテンポの度合いが少なく、昂揚感も希薄。
シテは終始、扇ではなく幣を持って舞っていたこともあり、どちらかというと、
巫女が神に憑依されて宗教的法悦のなかで舞っているというよりは、
清浄な場に降臨した神に捧げるべく、巫女が神楽を舞っているという印象が強かった。
そのせいなのか、
舞が終わって「神はあがらせ給ふと云い捨つる」で、
シテが幣を後ろに投げ、両手を突いて頭を下げ、
「声のうちより」で立ち上がり、「狂い覚めて」となった時、
憑依から解かれたような巫女の覚醒感をあまり感じなかった。
以前、木月孚行さんの《巻絹・神楽留》を観た時は
(この時も小鼓は幸正昭さん、太鼓は元伯さんだった)、
増の面の瞳が夢から醒めたようにハッと見開かれたような
覚醒感があったのを思い出す。
おそらく、流儀やシテによって演能意図が違うのだろう。
いろんなパターンがあるのが能の醍醐味なのだから。
0 件のコメント:
コメントを投稿