2019年9月4日水曜日

ICOM(国際博物館会議)京都大会ソーシャルイベント 金剛流《羽衣・盤渉》《棒縛》

2019年9月3日(火)金剛能楽堂

解説 ペレッキア・ディエゴ
狂言《棒縛》次郎冠者 茂山千五郎
 主人 茂山忠三郎 太郎冠者 茂山茂

能《羽衣・盤渉》種田道一
 ワキ有松遼一 岡充
 杉市和 曽和鼓堂 河村大 前川光長
 後見 廣田幸稔 向井弘記
 地頭 金剛龍謹


いよいよ始まったICOM(国際博物館会議)京都大会。
ソーシャル・イベントの会場となった能楽堂には、世界中から参加したICOM会員であふれ、まるでお能の海外公演に居合わせたような雰囲気だった。

京都産業大学准教授のペレッキア・ディエゴ氏による解説も英語がメイン。能・狂言の歴史から能舞台や面・装束について、さらにはこの日の演目のあらすじまで、簡潔に分かりやすく紹介されていた。
「能面は生きています。舞台で使われてこそ能面なのです。どうか世界中の博物館に眠っている能面と能楽師とをつないでくださいますよう皆さまのお力をお貸しください」というディエゴ氏の言葉が印象深い。文化財保護の観点からなかなか難しいとは思うけれども、海外のミュージアム関係者にこうして観ていただいたことが次の「何か」につながっていくといいな。

(4日の観世会館での《船弁慶・前後之替》も拝見する予定でしたが、落雷の影響で電車が止まっていたため、泣く泣く断念しました。(>_<))


《羽衣・盤渉》
今年の京都薪能(平安神宮)でも上演された金剛流の《羽衣・盤渉》。金剛流の華やかな芸風がよく生かされる演出と装束だった。

初めて拝見するシテの種田道一さんは、国立能楽堂主催公演でも何度かシテを勤められているから、おそらく金剛流を代表する能楽師のお一人なのだろう。現在60代半ばの円熟期。ゆったりとした大らかな舞姿で、気分が安らぐような、癒し効果の高い《羽衣》だった。

とくに印象深かったのが、天女が天上を懐かしんで、涙に暮れる場面。シテのシオリがあまりにも可憐で、まさに「梨花一枝雨を帯びたる」風情である。花が萎れてゆくように天人五衰の相を見せつつも、楚々とした天女の清らかさを感じさせる。「あまりに痛はしく候ほどに」と、白龍が心を動かされるのも肯ける。


〈装束〉
長絹は、平安神宮薪能で金剛宗家が着ていた上村松篁の長絹(孔雀の羽根のような目玉模様がついたもの)とは別のものだけれど、同じようにゴールドの羽根模様が裾に向けて放射状に広がったヴィヴィッドなオレンジカラーの長絹だった。
そこに、野村金剛家だけが特別に許されているという、紅白に染め分けられた露(ツユ)がついている。

下は紅地縫箔腰巻、天冠の立物は「盤渉」の時につけられる白蓮。いかにも金剛龍流らしいゴージャスで華麗な出立で、こういう国際大会のイベントによく映える。



〈盤渉〉
序ノ舞は「盤渉」の小書のため、初段の途中から盤渉調になる。
二段オロシでシテが後ろに数足下がり、《猩々》のように爪先を蹴り上げる足遣いをするのだが、水のイメージが強い盤渉調なので、天女が浜辺の波打ち際で舞い戯れるようすを表しているのだろうか?

序ノ舞の最後は破ノ舞の位に変わる(通常の「破ノ舞」はカットされ、序ノ舞と破ノ舞のあいだのシテワカの部分も省略される)。海辺で舞い遊んでいた天女が、ふわっと宙に浮かんで羽ばたいていくような軽やかさ。のどかにそよぐ春の浦風を思わせた。


〈舞込〉
三保の松原から富士の高嶺へ天高く昇っていった天女は、左袖をふわりと被き、クルクル、クルクルとまわりながら橋掛りを進み、最後に白龍のほうを振り返って、そのまま後ろ向きに幕入り。

天女を見送ったワキの留拍子で終演した。
舞台を去る時の有松遼一さんのハコビが棚引くような余韻を残していった。





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