2019年6月25日火曜日

京都観世会六月例会《通小町》《粟田口》《鵜飼》

2019年6月23日(日)京都観世会館
観阿弥祭からのつづき
能《通小町》シテ深草少将霊 河村晴久
 ツレ里女/小野小町 味方團
 ワキ旅僧 江崎正左衛門
 左鴻泰弘 吉阪一郎 河村大
 後見 杉浦豊彦  吉浪壽晃
 地謡 河村和重 河村博重 越智隆之
    片山伸吾 田茂井廣道 深野貴彦
    大江広祐 樹下千慧

狂言《粟田口》大名 小笠原匡
 太郎冠者 山本豪一 すっぱ 泉槇也
 後見 安田典幸

能《隅田川》シテ狂女 浅見真州
 子方・梅若丸 味方遙
 ワキ渡守 宝生欣哉 旅人 野口能弘
 杉市和 大倉源次郎 國川純
 後見 大江又三郎 味方玄
 地謡 片山九郎右衛門 浦田保浩
    古橋正邦 浦田保親 浅井通昭
    橋本忠樹 大江泰正 河村浩太郎

能《鵜飼》シテ尉/閻魔 吉田篤史
 ワキ旅僧 江崎欽次朗 和田英基
 アイ所の者 泉槇也
 森田保美 曽和鼓堂 河村裕一郎 前川光長
 後見 井上裕久 分林道治
 地謡 橋本光史 大江信行 林宗一郎
    松野浩行 梅田嘉宏 宮本茂樹
    河村和貴 浦田親良




能《通小町》
河村晴久さんが描く深草少将像には、優雅な品がほのかにあり、貴公子らしさがさりげなく滲み出る。

多くの貴婦人が胸をときめかせたであろうエリート青年が、小町に出会ってしまったがために、悲恋に身を焦がし、妄執にとらわれて夭折する……その過程がシテの姿からおのずと浮かび上がってくる。

百夜通いを再現するところでは、笠で顔を隠し、ゆっくりと歩を進める。その重みのある一歩一歩から、小町にたいする深草少将の命をかけた深い思い、真剣な心が伝わってきた。

ツレの小町はすらりとしたエレガントな姿で、謡が素敵だった。



狂言《粟田口》
《粟田口》といえば、山本東次郎さんの印象が強いからだろうか、流儀が違うので比べるべきではないかもしれないけれども、大名とすっぱの心理戦を丁寧に描いた山本東次郎家の舞台に比べると物足りなさを感じた。小笠原匡さんはうまい方だと期待していただけに、少し残念に思う。

たとえば、すっぱと二人きりで、山のあなたの粟田口所有者のところへ行こうとする場面。

みずから太刀を持っていざ出かけようとするとき、東次郎さんは自称・粟田口(すっぱ)をぐっと見こみ、「粟田口、お立ちゃれ」と威厳に満ちた口調で言い放った。その時の間合いや緊迫感は今でも印象に残っている。万が一、自称・粟田口が嘘をついていたら、ぶった斬ってやる!といった殺気だった気迫が感じられた。


この日の舞台ではそうした緊迫感は薄く、「粟田口、お立ちゃれ」のセリフもさらりと流れていった。同じ曲でも和泉流と東京大蔵流とでは、扱いが異なるのかもしれない。


最後の、「粟田口、粟田口」「御前に候」の掛け合いも、この日の舞台では絶妙とはいえず、冗漫だった。それにたいして東次郎家の掛け合いには、打てば響くような当意即妙感があり、自称・粟田口に心を許して、太刀を預けてしまう大名の心の変化がすんなりと理解できた。


同じ曲を他家の舞台で観てみると、山本東次郎さんの凄さをあらためて実感する。東次郎さんのシテで《粟田口》だけでなく、《木六駄》も観た、《月見座頭》も何度も観た、数々の名曲を拝見した。そのどれもが心に刻まれる舞台だった。
いつか関西でも、感動できる狂言の舞台に出逢えるといいな……。




能《鵜飼》
泉槇也さんの間狂言がよかった! 
猛烈な睡魔に襲われて意識を失っていたが、間狂言でハッと覚醒した。良い芸には睡魔を祓う力がある。
どういう方なのかプロフィールは知らないけれど、前途有望。これからが楽しみな狂言方さんだ。


浅見真州の《隅田川》につづく



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