2018年6月23日土曜日

京都国立近代美術館~コレクション・ギャラリー

会期:2018年5月30日~7月29日 京都国立近代美術館

琵琶湖疎水をはさんで観世会館の斜め向かいに建つ京都国立近代美術館。
休日でもコレクション展は人影もまばらで、じっくり、ゆったり、作品と向き合えるお気に入りの美術館です。


ロビーのベンチに座って琵琶湖疎水沿いを眺める

水辺の新緑。
ぼけーっと静かに過ごせるとっておきの空間。



コレクション展には、東京国立近代美術館とはひと味違う京都(関西)らしい作品も並んでいました。

岡崎桃乞《猫図》、1949年、油彩、板

岡崎桃乞(とうこつ)の個性的なネコ。
きれいな毛並みとツンと澄ました姿勢の可愛いコ。
画家の好みの女性像が投影されている?





北沢映月《A夫人》、1966年、紙本着色

北沢映月の絵は、色彩がほんとうに素敵。

この絵もうっとりと見入ってしまうほど、温かみのある豊かな色彩で、モデルとなった夫人の心のぬくもりとオーラがよくあらわれている。

こういう雰囲気の年配の女性にあこがれるなあ。




速水御舟《草花図》、1932年、紙本着色


御舟が亡くなる3年前に描かれたこの絵は、《炎舞》に見られるような上昇感のある構図を踏襲しつつも、画題のもつエネルギーを外に発散させるのではなく、花の内へ、内へと、観る者を惹き込んでいく、

生命力の充実と奥深さを感じさせる、そんな魅力のある作品。



御舟《草花図》、部分

とりわけ可憐なヒナギクの繊細な花びらの描写と、葉の表現には心惹かれるものがある。
花々からほのかに放たれる「気」のエネルギーが伝わってくる。






河井寛次郎《花下翔鳳壺》、1922年、染付、釉薬

京都といえば河井寛次郎。
(東山五条にある河井寛次郎記念館は京都でも特に好きな美術館のひとつ。)

この壺も、大胆な染付にふてぶてしい顔つきの鳳凰をあしらった、寛次郎らしい作品。




鳳凰のアップ
 可愛すぎる……。





河井寛次郎《辰砂鉄釉扁壺》、1940年ころ


縄文時代の土偶を思わせる、ザ・河井寛次郎的な色彩と造形。






河井寛次郎《緑薬瓶子》、1963年ころ


緑釉が宝石のように輝いている!




須田国太郎《動物園》1953年、油彩画布

須田国太郎といえば、関西で上演された能・狂言の名舞台をデッサンしたことでも知られる。

(その数6000点余り。そのうち5000枚ほどが、大阪大学に寄贈され、そのすべてが電子化・公開されている。初世梅若万三郎や二世梅若実、桜間弓川・道雄、観世華雪・寿夫、野口兼資、宝生九郎、松本長などの錚々たる顔ぶれ→須田国太郎・能・狂言デッサン)。





須田国太郎《鵜》、1952年、油彩画布


檻の中の鳥を描いた《動物園》と、自由なはずの《鵜》。
連続して描かれたこの二枚の絵には、何か通底するものがある。

檻の中でも、自由の身でも……。
とかく、この世は住みにくい。


このほかに、ユージン・スミスの特集展示があった。
とくに水俣病を扱った写真シリーズは衝撃的だ。

《怨の旗》と題する作品では、「怨」という漢字がひたすら記された無数の旗が写し出され、強力な呪詛の念が圧倒的な力で迫ってくる。

人々の苦しみ、怨念がこもっていて、胸にズシンと重たいものがのしかかる。
《怨の旗》については、自分のなかでまだ整理しきれていない。

京都や関西の古い街に来ると、歴史の闇や暗部のようなものを目撃して、暗澹たる気分になる。
そのことと、呪詛が込められた怨念の旗とがリンクして、いろいろ考えさせられたのだった。











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