2016年8月23日火曜日

「能」という瞑想 ~ 能楽セラピーPart2

(二年前に当ブログに投稿した「能楽セラピー」という記事の続編です。)

先日、Eテレで「マインドフルネス」の科学的効用について取り上げていた。

マインドフルネスとは、禅などで行われる瞑想から宗教性を除いた心理療法のことをいう。


マインドフルネスを短期間実践するだけでも脳内で変化が起こり、ストレスマネジメント力や集中力のアップ、うつの再発予防などに効果があり、ひいては慢性の炎症に関与する遺伝子の活動を抑制する作用もあるという。


この番組を観ながら、ふと、能を観ることもマインドフルネスなのではないかと思った。


わたし自身、かつて八王子の禅寺で定期的に坐禅を組んでいたことがあり、その経験から感じるのは、能を観ていると坐禅堂で坐禅を組んでいる時の感覚と似たものを覚えるということである。


五感を研ぎ澄まし、集中力を高めて能を観る時の、
舞台に溶け込み、演者と一体化したようなあの感覚。


身体のどこかに苦痛を感じても、ストレスを抱えることがあっても、
演能のあいだは苦痛が和らぎ、精神的ストレスが軽減する。


自己を忘れるような、あの三昧の境地にも似た感覚は、
わたしにとって「愉しむ禅」であり、マインドフルネスそのものなのだ。


そもそも能を観はじめた根本的なきっかけは、仕事で身体を壊したことだった。
日常生活もままならない状態になったため仕事を減らして恢復に努め、
そのリハビリとして何か好きになれる趣味を探してたところ、
出会ったのが「能」だった。


それから今に至るまでの三年ほどのあいだに、
かつての状態に比べると格段に健康になったと思う。


ストレスも以前と比べて感じにくくなったし、
短気で怒りっぽい性格も(あくまで自分比で)少しは穏やかになった気がする。


なによりも能楽堂にいくと、心身のバランスが整い、
「気」のエネルギーが充電されるように感じる。


禅の隆盛期につくられた能には、観ているだけで禅を実践できる
さまざまな癒しの装置がひそかに組み込まれているのかもしれない。



追記:
脳内に作用する癒しの装置が組み込まれた能楽には、
麻薬のように「やみつき」になる側面もなきにしもあらず。






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