2016年7月25日(月)14時40分~16時10分 29℃ 武蔵野大学雪頂講堂
宝生流シテ方・和久荘太郎
武蔵野大教育リサーチセンター・生駒哲郎
聞き手 能楽資料センター長・三浦裕子
(1)泉涌寺と仏舎利について 生駒哲郎
実際にあった仏舎利盗難事件
(2)演者から観た能《舎利》 和久荘太郎
見どころ、小道具、面の紹介、裏話など
→これが面白かった!
泉涌寺といえば大学時代、美術史の講座で「楊貴妃観音」を観に行った記憶があります。
繊細華麗な宝冠・瓔珞を身につけた端正ながらも肉感的な顔立ちはまことに艶麗で、伏せ目がちなまなざしが絶世の美女の倦怠と憂鬱を思わせたものでした。
そしてなによりも肌の質感がヌメッとしていて、官能的な潤いさえ感じさせたのです。
その楊貴妃観音もこの日のテーマの仏舎利とともに、泉涌寺を再興した俊芿の弟子・湛海によって南宋から請来されました。
まずは、そんな泉涌寺と仏舎利のお話。
生駒哲郎氏のお話によると仏舎利には、普通の仏舎利(砕身舎利)と仏牙舎利(仏の歯)があり、普通の舎利はどんどん増えていく(*)のだが、牙舎利は増えないゆえに極めて貴重とのこと。
(*)仏舎利が増えると言うのは、たとえば、東寺では仏舎利が二千個以上あるらしいが、毎年寺のトップである「一の長者」が仏舎利の数を数えると、その数が(不思議なことに?)増えていくため、増えた分を天皇の親族や公家に分配し、公家たちはその仏舎利を胎内施入した仏像をつくらせたという。
いっぽう、数の増えない仏牙舎利は、足利家の菩提寺たる相国寺や、天皇の「み寺」である泉涌寺に奉納され、前者は「武家の王権の象徴」、後者は「天皇の王権の象徴」になったとのこと。
面白かったのは、東大寺を再建した重源が、仏舎利を納入して大仏を復活させるために、東大寺に縁の深い偉人たち(鑑真・空海・聖徳太子・聖武天皇)ゆかりの舎利を、他の寺から弟子たちに盗ませたという事実。
重源ってけっこうファナティックな人だったんだ。
(ヨーロッパでも、とくに中世では教会同士による聖遺物盗難(フルタ・サクラ)があったから、こういうところは洋の東西を問わず変わらないんですね。 宗教的な権威づけ、求心力の強化には、実体のある聖遺物や仏舎利が欠かせなったということなのでしょう。)
つづいて、和久荘太郎さんのお話。
(そういえば和久さんの社中会は「和久」の語呂合わせで「涌宝会」というのですが、なんとなく、泉涌寺との縁を感じさせる名前ですね。霊泉が涌くって宝が涌くように有り難いもの。)
和久さんは人気シテ方さんらしく爽やかかつ華やかで、お話がうまい!
過去に二度《舎利》のシテを舞われて、今度の12月にはツレを勤められるそうです(シテは辰巳満次郎さん)。
それで、若い頃にはショー的な部分の多い後場が見せ場と思っていたけれど、技術だけでなく、心(曲への向き合い方)が変化する中で、実は前半の寂び寂びとした雰囲気がこの曲の醍醐味ではないかと思うようになったとのこと。
とくに、(ここは和久さんが実演で謡ってくださったのですが)上ゲ哥の「月雪の古き寺井は水澄みて……心耳を澄ます夜もすがら、げに聞けや峰の松、谷の水音澄みわたる、嵐や法を唱ふらん」のところなど、泉涌寺の清浄な雰囲気がしみじみとあらわれていて、文章の出来が素晴らしいと、三浦先生とともにおっしゃっていました。
それから、小道具・面の紹介のところも面白く、
宝生流の舎利玉は観世流のものとは違っていて、観世流はミニチュアの舎利塔のようなものが載っているのに対し、宝生流のはネギ坊主のような擬宝珠の形をした金ぴかの舎利玉が台のうえに載っています。
それから仏舎利を盗む時の、「くるくるくると、観る人の目を眩めて、その紛れに牙舎利を取って、天井を蹴破り」のところで、仏舎利を載せていた三宝を踏みつぶすのですが、この踏みつぶすのが結構大変で、和久さんはかつて東急ハンズでバルサ材を調達し、上下ともバルサ材を使ったら、踏みつぶした時に足がめりこんで、(コントみたいですが)そのまま足が抜けなくなってしまったので、試行錯誤を重ねて下だけバルサ材を使ったら、うまくいったとのこと。
このあたりのお話はとても面白くて、爆笑してしまいました(笑)。
さらに、三宝の踏みつぶし方も流儀によって異なり、
観世・宝生は三宝を踏み割るけれど、
金剛・金春は三宝を蹴飛ばし、
喜多流は、蹴破って客席のほうに蹴飛ばし、お客さんに取ってもらう(?)そうです。
また、打杖の色は黒垂なら紺、赤頭なら赤、白頭なら白というふうに、髪の色に合わせるとのこと。
ふむふむ。
和久さんが御持参してくださった面も、後シテは顰、後ツレは天神という造形の見事な面で、宝生流では天神の面は、この《舎利》と類曲《大会》の後ツレ、そして《金札》の後シテでしか使わないそうです。
最後に、生駒先生は仏舎利にまつわる生身信仰について語り、
和久さんは足疾鬼の釈迦への愛とそれによる仏舎利への執着、つまり足疾鬼の人間らしさについて語っていらしたことが印象的でした。
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