能 《鵜飼・素働→空之働》 シテ 梅若紀彰
ワキ 森常好 ワキツレ 舘田善博 アイ 河野佑紀
一噌庸二→小野寺竜一、住駒光彦、柿原光博、観世元伯
地謡 梅若長左衛門 山崎正道 鷹尾維教 角当直隆
松山隆之 河本望 井上和幸 梅津千代可
後見 山中迓晶 赤瀬雅則
《鵜飼》のシラバタラキってどんなのだろう、とワクワクしていたのですが、
小書の表記ミスとのことで、「空之働(むなのはたらき)」に変更。
「空之働」も珍しい小書らしく、その名の通り、
後シテは(謡う以外は)坐禅中の禅僧のように安座したまま何もしません。
何もしないことで、仏教の大いなる世界観を表すという途轍もない小書。
【前場:ワキとアイの問答】
安房の清澄から甲斐の石和にやって来た旅僧一行が、里人に一夜の宿を求めるが、土地の大法によって旅人に宿を貸すのは禁じられていると断られ、代わりに川崎の御堂に泊まるよう勧められる。ただし、その御堂には、夜な夜な光るものが上がってくるので用心するよう忠告される。
このあたり、世阿弥作の《鵺》とよく似ていて、
おそらくこの部分も、榎並左衛門五郎作の本曲に世阿弥が改変を加えた箇所だと言われている。
いずれにしろ、旅人を冷遇する里人たち(集団)の無情を描くことで、鵺や鵜飼(密漁者)といった暗黒の世界に住むアウトロー的存在の憐れさや隠された心根の優しさを後の場面で浮き彫りにするという、効果的な伏線となっている。
【前シテの登場→ワキとの問答】
一声の囃子とともに、松明を振り立てながら前シテ登場。
どこか悲しげで品格のある尉面。
鵜舟にともす篝火の消えて闇こそ悲しけれ
シテの梅若紀彰さんは、独特の陰影と奥行きを感じさせる魅力的な役者さん。
(誰もが持つ)人間のダークサイドを垣間見せるこうした役がよく似合う。
御堂で休んでいた僧たちは、鵜を引き連れてやって来た鵜飼と出会い、殺生をやめるよう諭す。
会話の中で従僧はこの鵜飼こそ、数年前に一夜の宿を貸してくれた人物だと気づく。
この時のワキツレの「いかに申し候」というタイミングや言い方に、その人の力量が出ると思うのだけれど、舘田さんの詞には唐突感はなく、もやもやとした記憶がふーっと意識の表面に浮上して形になったような自然な切り出し方だった。
【鵜之段】
従僧をもてなした鵜飼は、一殺多生のことわりによって里人たちに簀巻きにされて溺死したことを告げ、自分こそその鵜飼の霊であると明かす。
法や正論を盾に異端者を排除するマジョリティーの狂乱的暴力性がこの曲のサブテーマになっているように思わせる。
邪悪なのは、殺生を行う鵜飼なのか、殺生を私刑によって裁く里人たちなのか。
鵜飼は僧侶に回向を頼み、懺悔の徴として鵜漁の様子を再現する。
この鵜之段はさすがだった!
左手に持った扇を、鵜を解き放つようにパッと開き、水底を見込んで魚を追いまわし、追いこんだ魚を扇ですくい上げる――。
鵜舟から降りて水に浸かる鵜飼、暗い水面に映る篝火、威勢よく解き放たれる若鵜たち、驚いて追いまわされる魚たちの黒い影。
舞と謡によって鵜飼の情景が、躍動する鳥と魚と人間の姿がありありと目に浮かび、水の音まで聞こえてくるよう!
罪も報いも後の世も、忘れ果てておもしろや
紀彰さんの鵜飼は漁に興じながらも、一抹の悲しみを感じさせる。
「おもしろうてやがて悲しき」の句のように、その悲しみの影はしだいに色濃くなっていく。
闇路に帰るこの身の名残惜しさをいかにせん。
殺生の宴は終わった。
悲しみの影はいよいよ濃くなり、鵜飼はワキの前で合掌したのち、漆黒の闇へと消える。
水墨画のように悲しみの濃淡で描きだされた鵜之段だった。
【中入り】
間狂言のさなか、舞台裏からダダダダッ、ドドドドッと駆けまわる足音。
きっと汗だくの修羅場のような状態なのだろうか。
【後シテ登場】
待謡が終わらぬうちに、後シテが半幕で登場して、両手で前髪を掻きあげた後、
いったん下がって、ふたたび早笛とともに登場。
《鵜飼》の早笛はあまり速くなく、閻魔大王の登場にふさわしい重厚感がある。
面は小癋見なのかなー、なんだかとってもいかつい、小癋見らしいコミカルさのない恐ろしい感じのする面。
本舞台に入ると、正中でいきなり飛び安座。
そして前述のごとく、じっと安座のまま謡う。
シテの息が上がって謡が乱れ、「空之働」という小書の困難さが伝わってくる。
真如の月や出でぬらん
ここでようやく後シテは立ち上がって、(玄祥師による解説によると)イロエ的な働キが演じられる。
要するに、舞台をめぐる舞事なのですが、この部分は短く、後シテはふたたび飛び安座して、ふたたび座ったまま――。
これを見、彼を聞く時はたとひ悪人なりとても
ここでようやく閻魔大王はふたたび立ち上がって、なんと、そのまま退場!?
ワキが後を受けて留拍子(だったかな? 呆気にとられてよく憶えていない。)
禅の老師が謎めいた公案を残したまま立ち去ったような、
そんな余韻と困惑のうちに舞台は幕を閉じたのだった。
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