2019年4月9日火曜日

京舞井上流 澪の会《三面椀久》

2019年4月7日(日)19時~21時 片山家能楽・京舞保存財団

第1部 義太夫上方唄《三面椀久》
  椀久  井上八千代
  面売り 井上安寿子

第2部 座談会

祇園白川の夜桜
桜が見頃を迎え、京都はいつにも増して観光客でごった返し、澪の会も休日だったこともあり、あっという間に満員御礼に。整理券を求めて並ぶ行列のなかには、「都をどり」の出演を終えて南座から駆けつけた女義太夫の方々のお顔もあった。


さて、この日の演目は《三つ面椀久》。
井上流ではめったに上演されない大曲で、八千代さん自身は五世井上八千代襲名公演以来、なんと18年ぶりに舞われるという。

能楽片山家と京舞井上流が共有する稽古舞台
歴代当主と家元の写真が見守っている

「18年前に初めて舞った曲が自分のなかにどれくらい残っているのか試してみたかった」と、八千代さんはおっしゃっていたが、わたしには名人芸を通り越して、人間離れした超人芸に見えた。襲名披露公演での《三面椀久》は拝見していないが、おそらく、そのころに比べて長い時間をかけて熟成発酵させた、味わい深い内容だったのではないだろうか。


《三つ面椀久》はその名の通り、田舎大尽・傾城・幇間の三種の面で三役を舞い分けるのが見どころ。コミカルな舞だが、それを舞いこなすには極めて高度な技と芸力と身体能力が要求される。義太夫と上方唄の掛け合いも聴きどころのひとつ。


また、《三つ面椀久》の前半部分には、一中節の《賤機帯(しずはたおび)》からの引用も含まれている。《賤機帯》は、能《隅田川》《桜川》《班女》に取材したもので、愛しい相手を求めてさまよう狂女の心情が、傾城松山に恋い焦がれて精神を病んでいく椀久の姿と折り重なる。それゆえ、椀久の狂いには、少し女っぽい風情があるという。


東京の椀久は、片岡仁左衛門が舞われたような美しい椀久。それに対して、もっさりした垢抜けないところが、上方の椀久の魅力だと、八千代さんはおっしゃっていた。



安寿子さんが担いでいた面売りの屋台

前置きが長くなったが、いよいよ上演。

舞台下手の襖がスッと開き、椀久役の八千代さんがすべるような足取りで入ってくる。舞台が、硬質な空気に一変する。この登場の仕方がなんともカッコいい。

裾模様の入った深緑の着物に半幅帯を貝の口に前結びにして、黒い紗の羽織を狂女風に脱下ゲにつけいる。杖を上方に振る所作は、能《善知鳥》を思わせる。


ところどころに、椀久らしく、肩を詰めて後ろから前に下げる所作や、頭をぐるぐるまわす所作が入る。前者は「傾城松山に気持ちが届かず、しょぼくれた気持ち」を、後者は「どうしたもんや。。。」と途方に暮れた気持ちを表しているという。


やがて、面売り三太郎に扮した井上安寿子さんが登場。名古屋帯を矢の字に結んだ浅黄色の色無地姿に、面売りの屋台を天秤棒で担いでいる。


《三面椀久》は、一応、二人舞ということになっているが、相舞はほとんどなく、椀久と面売りの掛け合いが少しあるだけ。あとは面売り単独の舞のあいだに、椀久が後ろを向いてクツロギ、少し息を整える。椀久のパートは超ハードな舞や技の連続なので、この呼吸を整える休憩タイムは必要不可欠ではないだろうか。


狂言《茸(くさびら)》のように、つま先立ちで座って、膝から下だけを細かく動かしながら8の字に移動する箇所もあったが、その時も、八千代さんの着流しの裾はまったく乱れない! 顔色一つ変えず、息も上がらず、涼しい顔でこの技をこなしておられた。


後半では八千代さんが三つの面をすばやく着け替え、三者三様の所作や物腰、身のこなしを一瞬にして切り替える。その鮮やかさ、見事さに息を呑む。
面は口にくわえる「くわえ面」なので、ただでさえ呼吸困難になりがちなはず。そのハードさたるや、実際に演った者しかわからない辛さ・苦しさがあると聞く。


しかし、大曲の重さ、困難さに反比例するように、八千代さんの舞や所作はじつに軽妙だ。この軽やかさ。超一流の人だけが表現しうる、この「かろみ」。


「年を重ねると、力の抜き方が分かる」「息を詰めるところ、固めるところと、息を抜くところ、身体を楽に遣うところとが、分かってくる」と、八千代さんはおっしゃっていたが、その言葉通り、身体を自由に、軽妙に使いこなしていらっしゃる。


田舎大尽は、「ごつんと、もっさりした」やや武骨な物腰。
傾城は、しどけなく寝そべるなど、艶っぽい所作。
太鼓持ちは、思わず笑いだしたくなるようなひょうきんさ。
この早変わりを、一瞬で表現していく。


要所要所で足拍子が入るのだが、同一平面上のお座敷だからこそ、足拍子の振動がこちらにダイレクトに伝わり、これが身体の芯に共鳴して心地よく作用する。


名人の足拍子は、その役によって周波数を変えるものなのかもしれない。

足拍子の振動を通じて、椀久の狂気、愛しく切ない気持ち、うたかたの享楽に身をゆだねる陶酔がこちらにも伝染し、いつしか椀久と一体となって大尽遊びの快楽のなかに引き込まれていた。

最高の芸とは、観る者の身体に感じさせる芸だとあらためて思う。


整理券を求めて長時間並ぶのは正直しんどいけれど、やっぱり来てよかった!
また来たい、なるべく見ておきたい、いや、また身体で感じたい。



追記:5世井上八千代による《三面椀久》は今年の秋、東京・国立劇場でも上演されるそうです。




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