嵯峨大念佛狂言~狂言堂こけら落とし公演 with 千本ゑんま堂狂言からのつづき
嵯峨狂言《土蜘蛛》 |
番 組
《愛宕詣》(やわらかもん) 嵯峨大念佛狂言
《鬼の念佛》(やわらかもん)千本ゑんま堂大念佛狂言
《紅葉狩》(かたもん) 千本ゑんま堂大念佛狂言
《土蜘蛛》(かたもん) 嵯峨大念佛狂言
嵯峨狂言堂落慶記念公演の後半は、スペクタクル能にもとづく、カタモンの念佛狂言。
能の《紅葉狩》や《土蜘蛛》との違いは、念仏狂言には「飛び込み」という演出があること。
土蜘蛛や渡辺綱・平井保昌たちが、揚幕前の仕掛けに飛び込んで、まるで忍者のように、奈落へとサッと姿を消す。
これが、スピーディでカッコいい。
鬼女や土蜘蛛との斬り合いも、迫力があり、見応え十分!
念仏狂言の囃子は、カンが鉦、デンが太鼓、これに横笛が入るというシンプルな構成。
鬼や化け物が出てくる際には、「カンカン、カンカン、カンカン、カンカン」という早鐘(はやがね)と呼ばれる、鉦による囃子が入るのだが、この音色がおどろおどろしくて、良い味を出していた。
《紅葉狩》の平維盛と太郎冠者 |
戸隠山に鬼退治に訪れた平維盛。お供は、狂言らしく太郎冠者。
舞台には、本物の紅葉が飾られるが、まだ色づいていないので青紅葉。
酔いつぶれた維盛から太刀を奪った謎の女 |
このときの謡が、能《紅葉狩》の次第と同じ「時雨を急ぐ紅葉狩、深き山路を尋ねん」だった。節まわしも能の謡とまったく同じ。地取がないのが物足りなく思えるほど。
ほかにも能狂言の詞章を借用したセリフや言い回しがいろいろあり、有声劇の千本ゑんま堂狂言では、能楽からの影響がより強く感じられた。
鬼女とのバトル |
最後は、メデューサのように首をバッサリ斬り落とされる。
こういうのも、暗示的でシンボリックな能の表現とは異なるところ。
嵯峨狂言《土蜘蛛》。酒宴で杯を飲み干す源頼光 |
これがとってもよかった!!
おおらかな間合いや、無言劇ならではの手話のような優雅なしぐさ、そして、メリハリのある展開、立ち回りのキレの良さなど、嵯峨狂言の魅力がいっぱい詰まっている。
無言の仮面劇なので、視覚も限定され、聴覚にも頼れない。
そのため演者たちは、ボンッと1つ足拍子を踏むことで、進行の相図を送り合う。
逆に言うと、この足拍子だけで互いの間を計り合うのだから、じつは相当高度な技と経験が必要とされるのではないだろうか。
頼光を襲う土蜘蛛の精 |
(能では前シテは怪しげな僧形の人物だが、嵯峨狂言では最初から鬼面で現れる。)
キンキラの擦箔にクモの巣もようの青い衣が、ハードロック風。
腰帯があるのも能っぽくて、おしゃれ。
頼光は名刀・膝丸で応戦 |
(ここで、蜘蛛の精は、飛び込みを使って、奈落へ姿を消す。)
ここでの頼光の刀捌きがとてもかっこよく、蜘蛛の精の糸吐きもみごと。
飛び込みも鮮やかに決まっていた。
異変を察知して、駆けつける綱と保昌 |
二人に土蜘蛛退治を命じる。
綱が癋見系、保昌が天神系の能面をかけ、頼光が神楽系の面をつけているのも妙にマッチしていて、おもしろい。
(平井保昌は「頼光四天王」ではなく「道長四天王」なのに、ここでは頼光の家来になっている。そもそも土蜘蛛退治に行くのが独武者ではないのは、綱と保昌が江戸時代の人気者だったから?)
癋見と天神の共演って、能ではなかなかない気がする。
土蜘蛛を見つけて、大立ち回り。
土蜘蛛も必死で応戦!
生首の表現とか、めっちゃリアル。
こういう神事芸能には、ほかにはない魅力がある。
関西にはまだまだたくさんあるので、いろいろ観に行こう!
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