「いまの砧の声添えて、君がそなたに吹けや風、あまりに吹きて松風よ、わが心、通ひて人に見ゆならば、その夢を破るな、破れて後はこの衣、誰が来ても訪ふべき、来て訪ふならばいつまでも、衣は断ちも替へなん、夏衣、薄き契りは忌まはしや、君は命は長き夜の、月にはとても寝られぬに、いざいざ衣擣たうよ
(中略)八月九月、げにまさに長き夜、千声万声の、憂きを人に知らせばや、月の色風の気色、影に置く霜までも、心凄きをりふしに、砧の音夜嵐、悲しみの声虫の音、交じりて落つる露涙、むー、ほろほろはらはらはらと、いづれの砧の音やらん」
《砧》の詞は胸が締め付けられるような、しみじみとする名文だ。
夫の帰りを一日千秋の思いで待つ妻の千々に乱れる思いが、秋の夜長の描写とともに表現されている。この謡の節も何とも言えない哀調を帯びて味わい深い。
こんなに美しい言葉を堪能できるなんて、日本人に生れてよかったとつくづく思う。
昨日うかがった柴田稔先生舞台生活三十周年記念の社中会の《砧》も素晴らしいお舞台だった。
お囃子が(以下敬称略)藤田次郎、大倉源次郎、亀井広忠、小寺真佐人、ワキ方が宝生閑、大日方寛、アイ狂言が山本則孝、地頭が 観世銕之丞、副地が 西村高夫(そして地謡前列には私の好きな安藤貴康さん)、後見が柴田稔と野村四郎という豪華なメンバー。
(おシテ・ツレをなさった社中の方々もとてもお上手。《砧》のキーパーソン、夕霧を演じられた方は特に。)
幕が揚がって登場した時の宝生閑先生の素袍姿がほんとうにきれい。
無駄な力がすべて抜けたフワリとした佇まい。
長袴をはいているせいか、いつも以上に雲の上をすべるような浮遊感のある足の運びで、思わずうっとりと見入ってしまった。
閑先生はこのところ超過密スケジュールで、舞台の上でもお顔色が優れず、「倒れるんじゃないか」と冷や冷やしながら祈るような気持で拝見していた。
でも華友会のこの日は調子を戻されたご様子。
閑先生の表現力のおかげで、観能初心者の私でも《砧》の世界にぐんぐん引きこまれていく。
中入後に芦屋の某が正先の砧に向かって妻の霊を呼び出すシーンはとりわけ感動的だった。
「無慚やな三年過ぎぬることを恨み、引き分かれにし爪琴の、つひの別れとなりけるぞや。先立たぬ、悔いの八千度百夜草……」のところで号泣しそうになったのをほろりと涙する程度になんとか押しとどめたけれど、胸にぐっと込み上げてくるものがあった。
現在は通信網も発達していて、好きな人と遠く離れていても常に連絡とり合うことができるし、夫が冷たければ離婚して別の幸せを探すことも比較的容易だから、《砧》の登場人物に共感するのは難しい。
でも、生きていると後悔することはたくさんある。
愛する人を図らずも傷つけ、ましてやその人を死に追いやってしまったら、どれほど後悔しても後悔しきれない。
愛する人を傷つけるのは、自分が傷つけられる以上に辛いことなのだ。
閑先生のシンプルで豊かな台詞回しには、誰もが心の奥底に沈めている悔恨の情を呼び起こす力がある。
「無慚やな」という先生のかすかに震えた声が今も耳に残っている……。
以前、閑先生は《砧》を演じる際、妻の亡霊が橋掛りに来たのが見えるように演じる場合と、実際に前に来るまで見えないように演じる場合とがあるとおっしゃっていたが、この日は、妻の亡霊が一の松に来たあたりでその存在に気づいてそちらに向き直る、という所作をなさっていた。
こういうのは閑先生がその場の雰囲気を読んで、長年の勘で決まるのだろうか。
閑先生のことばかり書いてしまったけれど、お囃子も言葉にできないくらい秀逸で、特に源次郎先生の小鼓の幽かな音色には不純物をすべて取り除いたような透明感のある響きがあり、それが《砧》の物悲しい詩情と溶け合っていた。
そんなわけで、夢見心地のうちにお能は終わり。
終演後も私の頭はまだポワンとしていて、夢遊病のように身体だけが自動操縦モードに入っていた。
気がつけば表参道の地下鉄のホームにいて、そこでハッと気づいた。
《砧》の演能後に柴田先生の景清の仕舞があったのだ!
なんてことだ! なんたることだ!
柴田先生の仕舞、すっごく楽しみにしてたのに!
私はなんて失礼なやつなんだ!!
「先立たぬ悔いの八千度百夜草」とはまさにこのことである。
次回、私が《砧》を見るのは7月のテアトル・ノウ東京公演の予定。
去年、片山幽雪の仕舞《砧》がNHKで放送されて、観世流(特に片山家系)独特のうねりのある哀切を帯びた謡に聞き惚れて以来、何度も録画を再生しているが、そのたびに新しい発見がある。だから味方玄さんの《砧》、今からほんとうに楽しみ!
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