舞囃子《絵馬・女体》からのつづき
狂言小舞《景清》 山本東次郎
地謡 山本則俊 山本則重 山本則秀
一調《山姥》 宝生和英×三島元太郎
能《楊貴妃・干之掛》 梅若万三郎
ワキ 森常好 アイ 山本則俊
松田弘之 大倉源次郎 亀井忠雄
後見 加藤眞悟 山中迓晶
地謡 梅若紀彰 観世喜正 鈴木啓吾 伊藤嘉章
角当直隆 小島英明 坂真太郎 川口晃平
小舞や一調という、簡潔な表現形式のなかに、時空を超えた広がりと奥行をもたせる日本の舞台芸術って、やっぱり凄い!
なによりも、その醍醐味を観客に存分に堪能させた演者の方々の力量に感服。
狂言小舞《景清》 山本東次郎
「能の舞は謡から遅れ、狂言の舞はその字に当てる」という大蔵流の口伝がある。
稽古の時も、謡が表現するものに、舞の型をピタリピタリと合わせていくという。
そうしたアテブリ的な狂言小舞に東次郎さんの名人芸が加わると、過剰や誇張に傾きがちな写実表現を様式美の枠内にキチッと嵌め込みつつ、型の存在を忘れさせるほど、自然で実体感のある表現世界が生み出される。
錣引きの場面では、勇猛果敢な景清の腕力、三保谷四郎の首の骨の強さ、戦場のざわめき、兵たちの息遣いが、リアルに伝わってくる!
引き合う錣の向こうに相手の存在が感じられる、たしかな張力と弾力。
そしてそれを俯瞰的に回顧する盲目の景清の幻影さえも浮き上がってくるよう。
それにしても、あれだけ縦横無尽に舞台の隅から隅まで舞い進みながらも、息がまったく乱れない強靭な足腰・心肺はいつもながら驚異的だ。
大倉源次郎師による解説にあった、「皆様にとっては出来ることが出来なくなってから出来たことは何でしょうか?」という問いかけが胸に響く。
一調《山姥》 宝生和英×三島元太郎
これほど一調に引き込まれたのは、はじめてかもしれない。
当代銕之丞さんがインタビューで「(息を)引くという技術に特化している流儀の謡が宝生流なんです」とおっしゃっていたが、それはこういうことなのだろうか。
観世のような朗々とした強い息遣いではなく、いったん内に深めてから放出されるような謡。
とはいえ籠った感じではなく、聞き取りやすく、独特の旨味がある。
「都に帰りて世語にせさせ給へと」で謡いだした謡に、太鼓が、最初は寄り添うように音色を響かせ、しだいに盛り上げながら、クライマックスの「山また山に、山めぐり、山また山に、山めぐりして、行方も知らずなりにけり」で、謡と太鼓が溶け合い、互いの呼吸を図って引き立て合いながら、最高潮に高めていく。
和英宗家の非凡な芸力と、三島元太郎師の包容力のある太鼓。
最後は、山々の梢間を吹き抜けてゆく一陣の風を感じさせた。
能《楊貴妃・干之掛》につづく
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