2015年5月21日(木)18時開演 国立能楽堂
おはなし 松岡心平
多武峯式 《翁》
翁 観世清和 千歳 観世喜正
藤田六郎兵衛 大倉源次郎 山本哲也 観世元伯
後見 大槻文蔵 上田公威
地謡 観世銕之丞 片山九郎右衛門 山崎正道 角当直隆
坂真太郎 角幸二郎 谷本健吾 坂口貴信
談山神社所蔵の摩多羅神面を使用する多武峯式《翁》。
じつは摩多羅神は、私が十何年か前に広隆寺の摩多羅神の祭りである「牛祭」(現在は中絶している)を観て以来、個人的に非常に気になっていた謎の神である。
(そのときは、摩多羅神が能楽と関連しているとは思いもよらなかった。)
秦氏の氏寺である広隆寺(および大酒神社)の牛祭は、京都三大奇祭の1つとされ、梅原猛はもとより京極夏彦や妖怪学の泰斗・小松和彦先生も訪れている民俗学・宗教学的にも興味深い祭りだ。
摩多羅神の正体については金毘羅権現であるとか、ダキニ天であるとか、
赤山明神or新羅明神であるとか、大威徳明王であるとか、牛頭天王、泰山府君と習合しているなど諸説あるが、私自身はローマ時代に信仰された牛を屠る神・ミトラ神だと考えている。
ミトラ信仰はキリスト教にも取り入れられ、日本にもミトラは未来仏・弥勒菩薩として伝わっている。
広隆寺において、秦河勝が聖徳太子から賜った弥勒菩薩半跏像が祀られているのも偶然ではない。
【お能の感想】
切火が丹念に打たれ、翁となる観世宗家と千歳の観世喜正さんが揚幕から厳かに登場。
その他の囃子方や地謡・後見は切戸口から舞台に入る。
喜正さんはハコビのとても美しいシテ方さんだと思う。
しかしこの日は、観世宗家の品格のあるハコビと所作が際立っていた。
(翁と千歳とでは、ハコビの位もこれほど違うのだと改めて実感。)
面をかける前から人であって人でないような神がかったオーラが宗家の全身から漂ってくる。
迫力のある千歳の舞の後半、面箱から取り出された摩多羅神面を宗家がかけ、心身を統一するかのように面紐がキュッと結ばれる。
それにしても大きい。
伎楽面か行道面を思わせる巨大サイズの面に宗家の顔がすっぽり覆われる。
翁面と同じ切顎で、顔立ちも翁と似ているが、翁面よりもやや鼻高で、翁面のように心から笑っているのではなく、作り笑いを貼りつけたような不気味な恐ろしさを感じさせる。
後戸の芸能を守護する後戸の神。
呪術(芸能)によって芸能民に憑依する、畏怖すべき隠された神――。
多武峯式《翁》では、翁舞を乱拍子で舞う古態の演出が再現され、源次郎師の魂を振り絞るような掛け声と小鼓の音が冴えわたり、電気が走るようなビリビリとした緊張感が能舞台にみなぎる。
背後の鏡板は何かが蠢く暗黒の後戸となり、
多武峯と千駄ヶ谷をつなぐ時空を超えた異空間が
舞台上の「気」をブラックホールのように吸い込み、
摩多羅神面をつけた翁から、小鼓方から、囃子方から、大和猿楽の末裔たちから、
新たな「気」が無尽蔵に生成され、
舞台上に目に見えない「気」が奔流のように凄まじい勢いで流れていく。
「気」の激流の中で乱拍子の小鼓の咆哮がクライマックスを迎え、
摩多羅神面をとり、滝のように流れ出る汗を後見に拭いてもらった宗家が
見所に向き直り、さらに正中に進んで深々とお辞儀をし、
世にも神秘的な《翁》は幕を閉じた。
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